2010年01月 アーカイブ

2010年01月24日

第42回

<2010年・国際状況>

木村>  本日は2010年になって初の放送となります。21世紀に入って10年となり、私たちはいまどのようなところに立っているのでしょうか。明るい気持ちになれないまま、なんとなく重圧感がある新しい年を迎えた人も多いと思います。そこで、寺島さんに私たちが新しい年に世界と日本をどのようにみていくべきなのかということを伺います。

寺島>  私は新年にあたって、敢えて、明るい展望を語るという意味ではありませんが、日本人が必要以上に悲観的になっていることが少し気になっています。
 私は昨年12月の上旬にはアメリカに行き、年末のぎりぎりまでシンガポールに行っていたのですが、日本だけがなにやら必要以上に暗いと感じました。これはどのような意味かというと、「除く日本」で、日本は2008年、2009年と2年連続マイナス成長の時代を過ごし、2008年は前年比マイナス実質0.7%で、2009年に至ってはおそらくマイナス5.3%くらいでマイナス成長の中をあえぐ日本の姿が見えるために、我々は兎角、グルーミーになってしまうのです。
しかし、世界経済をじっとみてみると、必ずしも悲観的なことばかりではありません。たしかに、2009年の世界全体の実質GDPはマイナス2.2%くらいだったであろうと言われています。アメリカがマイナス2.5%で日本が先程申し上げたようにマイナス5.3%ですが、例えば、BRICsと呼ばれる中でも二極分化が起こっていて、中国はプラス8.5%、インドはプラス6.6%で中国とインドが物凄くスピードを上げて経済を拡大しています。
世界のエコノミストの平均的な予測値を発表している機関で「コンセンサス」というところがありますが、世界中のエコノミストの平均的な予測値として2010年についてプラス2.9%の成長予測が出てきています。つまり、世界全体でいうと昨年はマイナス2.2%だったけれども今年はプラス2.9%で、これがおおかたのエコノミストの平均予想値ということです。今年、アメリカはプラス2.7%で中国はプラス9.6%という予測がでています。更に、インドはプラス7.9%で、ほぼ8%成長という予測です。昨年のロシア経済においては、マイナス7.9%のマイナス成長だったのですが、今年はプラス4.1%という数字がでていて、ブラジルもプラス5.1%です。
つまり、BRICsと呼ばれる国々、新興国がぐっとスピードを上げて経済を拡大していくということです。一方、先進国も日本さえプラス1.5%という成長予測がエコノミストの平均的予測値となっています。世界全体がプラス2.9%拡大する予想の中で、日本がプラス1.5%となると少し弱含みですけれども周りを見渡してもらいたいのです。それはどのような意味かというと、世界中が再び成長エンジンをふかし始めているということが現下の世界情勢なのですが、むしろ、私はそれに対して少し懸念があります。それは、「何故そのように世界経済が好調なのだ?」、もしくは、「好調軌道に戻りつつあるのだ」ということですが、分かり易く申し上げると、金融超緩和の流れの中において、またぞろ、マネーゲーム化してきているということです。各国は景気を下支えするために必死の財政出動をして、更に、金融超緩和という状態で、アメリカに至ってはゼロ金利を続けています。
世界のGDPが55兆ドルで金融資産が148兆ドルという2008年の数字がでていました。前年の2007年に世界のGDPは54兆ドルで、金融資産においては2007年に194兆ドルもあり、金融資産が2007年にGDPの3.6倍に膨れ上がっていたのです。そこから、みなさん御存知のサブプライム問題やリーマンショック等が起こり、2008年には148兆ドルまで世界の金融資産を圧縮していたのです。金融資産というのは、株等のあらゆる金融資産です。しかし、昨年、おそらく、世界経済はGDPにおいて54兆ドルくらいまでに2ポイントくらい圧縮したけれども、金融資産は再び、180兆ドルくらいまで戻っただろうと推計されていました。分かり易くいうと、お金がダブついていたために、ここのところにきて例えば石油の価格等でも2007年8月に一時、147ドルという水準だったバーレル価格が、2008年の年末にはなんとバーレル34ドルまで下がった。ニューヨークの石油先物市場の価格がその前年のものが、30ドル台まで落ちていました。それが再び昨年の年末に77.8ドルで年を越しました。したがって、前の年の年末と比べると再び石油価格は倍の価格水準になってきているということになります。その背景にあるものは、あり余っている過剰流動性といわれているお金が、何処に向かうかによって、つまり、金融資産が肥大化したり、株が上がったり、石油価格が上がったりする等というある種の不安含みで,、実は、世界経済は我々が思った以上のスピードによって回復軌道にあるのです。
 したがって、懲りない人々がまたマネーゲームを繰り広げるという可能性があって、「めでたし、めでたし」とはとても言えませんが、そのような中で、日本だけがうずくまっている状況なのです。
まず、番組の冒頭で私が確認しておきたいことがあって、これをどのように捉えるのかによって非常に微妙だけれども、日本を除く世界の国々は、既に相当なスピードで拡大軌道にあるけれども、その背後にある構造は非常に危ういものを抱えていて、またぞろ、一種のインフレ願望のようなもの、マネーゲーム願望のような空気の中に入りつつある世界なのだということがまず、本日確認しておきたいことの1つです。
もう1つは、昨年を振り返って、いま世界がどのようになっているのだろうという時に、途方もなく重要な話題は先月、COP15というコペンハーゲンで開催された環境問題に関するルールづくりの会議があって、誰もが注目をしていたと思います。
 私は「COP15の衝撃」という言葉が非常に適切だと思います。これはみんなあっけにとられて沈黙しているというのがいまの状況で、一体あれは何だったのか説明できる人は世界中何処にもにいないと思うくらい何事も決らなかった会議だったと言ってよいと思います。
 それは一体何だったのかというと、この番組でも何度も申し上げていますが、全員参加型秩序の時代が始まっているということを示したというもので、例えば、日本の立場からいうと、新政権の鳩山首相が前政権よりもはるかに意欲的なCO2削減目標を掲げて、国連において、なんと1990年比で25%CO2削減をすると胸を張って言ったのです。
 それならば、さぞかし日本が積極的に環境問題に取り組んで、見事な国だということで拍手でもおこるのかと思ったら、とんでもない話で、例えば、アフリカの国々等から、むしろ罵詈雑言を浴びせられたような空気がかえってくることになってしまったのです。それは何故かというと、先進国がいかにハッスルして意欲的な数字を掲げて「2020年に向けてCO2削減します」と言ってみても、途上国からみると、自分たちにどれくらいの環境対策のお金が回ってくるのか、はたまた、環境問題に立ち向かっていく技術の移転がなされるのかというところに関心があって、日本がどんなに意欲的な目標を掲げようとも、平たい言葉で申し上げると、「勝手にどうぞ」というもので、「大いにおやりなったら結構ではないのですか?」という話になり、ちっとも拍手がおきません。
 要するに、これは何かというと、国別にCO2の排出目標額を出して、「お前よりは俺のほうがより責任をとるべきだ」という形のルールによって環境問題に対応していこうという方法論の限界が見えてきているということです。本来、国境を越えたはずの、地球全体で立ち向かわなければならない問題に、また国境線の問題の話を持ち返してきて、「途上国も責任をもて」、「専ら先進国が出してきたのだから、先進国が責任をもつべきだ」等、とりわけ、アメリカ、更にそれを揺さぶる中国等の姿を我々は目撃してしまったわけです。更に、中国がいかにアフリカに対して影響力があるのかということも目撃しました。
 分かり易くいうと、「混沌」と言いますか、全員参加型秩序によって全員が声をあげて勝手気ままに自分たちのルールを異種格闘技のような形で叫んでいるような状況に世界がいまあるということを確認したと言ってよいと思います。そのことによって我々は少し冷静になって、考えなければならないことは、この番組でも何度も申し上げましたが、世界は冷戦が終わった直後のソ連崩壊によってアメリカだけが唯一の超大国になっていたわけですが、これからはアメリカが一極で仕切っていくのだという時代ではありませんということだけははっきりしています。いくらアメリカが言っても束ねきれません。いままではG8の8つの先進国によって対外ルールについて合意をすれば世界がついてきていた時代もありましたが、それも期待できません。ついこの間までG20の20カ国がいよいよ世界のルールづくりに参加してきて、先程も話題にしたBRICsの中国やロシアやインド等までが世界の様々なルールに対して発言をし、力をもってきています。
 しかし、そのG20の20カ国ですらルールを仕切りきれていません。アジア、アフリカ等の小さな国々までが自己主張をし始めていて、この混沌としたゲームをどのように仕切るのか、全員参加型の時代のルールをどのようにつくるのかという試練の時期にさしかかっていることを示したものがCOP15の衝撃だったのです。
つまり、日本が1歩も2歩も前に出て、25%削減というような大きな数字をぶちあげることによって尊敬されたり、みんながついて来るという時代ではなくて、全員参加型の時代のルールづくりを我々自身も学ばなければならないということです。それはただ単に、国別の総量排出目標をリードすることによってルールがおのずと決っていく等ということではなくて、新しいルールづくり、つまり、世界の問題を解決していく新しい方法論、これは政策と言ってよいと思いますが、そのようなものが問われているということです。
私は今後一段と国境を越えたマネーゲームとなると思います。それに伴い環境問題についても、為替の取引き等の際に広く薄く課税をしていき、国際機関がその税金によって集めたお金を途上国に技術を移転する時の財源にするという国際連帯税の話をこの番組でも盛んに話題にしてきましたが、多くの人たちはあの話を「なんのこっちゃ?」という気分で聞かれていたと思いますが、段々と世界がそこに向き合い始めているのです。つまり、そのようにしなければ誰もが納得するルールはできないからです。全員参加の時代において、「俺よりもお前のほうがより責任をとるべきだ」というような話をしていたのではいけません。やはり、みんなが納得する、「それは仕方がないな。自分もそのような形で一部受け持っていこう」という気持ちにさせるようなルールにはならないのです。
昨年の12月にCOP15によって目撃してきたことは、ほとんどの人たちは立ちくらみ状態で「あれは一体何だったのだろう?」と唖然として、誰も何も言わなくなってしまった状況です。それをもう一度考え直して「ああ、世界はそのような時代に入っていて、その象徴的な出来事が12月に起こったのだ」と考えるべきだと思います。

木村>  「その中で、日本は……」ということになると思いますが、そこのところは後半に伺います。

<2010年・日本の状況>

<後半>

木村>  前半のお話で寺島さんから昨年の12月の「COP15の衝撃」ということで、全員参加型の時代の新しいルール、新しい方法論、つまり、そのような世界の捉え方に根差す新たな世界をどのようにしていくべきなのかという方法論が必要であるというお話を伺いました。その中で、「日本はどうなのか?」と。先程のお話でも経済の回復についても「日本を除く」という話があって、少し切ないところでもありました。

寺島>  私は昨年を振り返って、お話をさせていただいていますが、日本も政権交代が起こって、新政権によって年を越しました。それによってそろそろ見えてきたことと、見えてこないことがありますので整理をしてお話をしたいと思います。
 年末に新政権による来年度の予算案が出てきましたが、その中で少なくとも見えてきた方向だと言えることは、公共投資を前年比18%更に減らすということです。例えば、子供手当に象徴されるようなものに予算をつけたために、福祉や教育等に関する予算を10%近く増やすということになってきました。このことは鳩山政権が掲げている「コンクリートから人へ」ということの象徴的な予算の配分だということが仮りに見えてきました。
 これを世界史的に考えてみると、冷戦が終わってから日本も世にいう「グローバリスム」なるものの波の中に呑みこまれて、アメリカを震源地とするいわゆる新自由主義によって市場における競争を重視する経済に向かって日本を変えていかなければならないということで、小泉構造改革だのなんだのと言っていました。しかし、新自由主義の挫折という流れの中から日本はいま悩み込みながらも極端な福祉国家を目指せるほど高福祉、高負担を目指しているわけではありませんが、子供手当のようなものをみていると、ほんの1歩ですが北欧型の福祉社会のようなものを日本にも導入していこうとしているということが薄ぼんやりとした形ですが、見えつつ年を越したと思います。
 しかし、敢えて申し上げると、「分配の公正とは何か?」という問題があって、私が気になることは、例えば、普通に働いているサラリーマンの家計、つまり、勤労者家計可処分所得という言い方があって、年金や税金等を払った後に実際に使えるお金は2000年には月あたり473,000円だったものが、昨年の選挙の直前の統計をみると、1月から7月迄の平均は412,000円で、61,000円も落ちました。つまり、ごく普通のサラリーマン平均的な年収が73万円くらい減っているということになり、物凄く世知辛くなっているわけです。
一方、会社もここのところへきて、リストラに次ぐリストラ、効率化に次ぐ効率化によって競争主義、市場主義の徹底を進めてきているためにほとんど余裕のない状態になっており、苛立っているサラリーマン、ごく普通の平均的な市民がその苛立ちを前政権批判のようなものにぶつけて、政権転換が起こりました。そして、政治、公に対してそのようなことを解決してくれるように大いに期待をしているために、子供手当的なものに物凄く拍手がおこります。しかし、国民として本当に考えておかなければならないことは、自己責任というものをどこまで社会が追及することがよいのか、それとも、政治や政府等が解決してくれることを期待することがよいのかという時に、この問題は大変に悩ましいのですが、例えば、過剰に政治に期待をしていくということになると、その期待が「票」なので、投票を惹きつけなければならないためにポピュリズムと言いますか、受け狙いが出てきます。そのツケは巨額の財政赤字になったり、その財政赤字を補てんするために、やがては大変な額の税金を負担するということになっていく可能性があります。要するに、ここで我々がしっかりと見据えておかなければならないことは、「日本は将来どのような国にしていけばよいのか」ということに関しては、まだまだ何も見えていないということです。そして、気をつけなければならないことは、政治家のレベルを超えた社会が実現できなくなることです。はたして、このようなことでよいのかというと、政治主導が必ずしも国民主導になっていくのかどうか。私は過剰な期待をしているとその期待の反動によって起こってくることのほうが恐いと思います。

木村>  困難な時こそ光明を見たいという気持ちがありますが、その光明の中にこれだけの課題があるということを私たちがしっかりと認識しておかなければ、この光明は力にならないということも真実であると感じました。

2010年01月26日

第43回

<為替変動の歴史―1ドル1円の時代から戦後1ドル360円の時代を経て、いま―>

木村>  先週の放送では、2010年という年に私たちが年の初めに世界をどのように見るのか、或いは、日本のこれからに対してどのような課題を見ておくべきなのかというお話を伺いました。
 今週の前半は「寺島実郎語る歴史観」をお送りします。テーマは「為替変動の歴史―1ドル1円の時代から戦後1ドル360円の時代を経て、いま―」です。
 私も1ドル360円の時代はわかりますが、1ドル1円という時代があったのですね。

寺島>  日本円は明治4年、1両、2両から、「円」という単位の通貨のスタイルにしたスタート時点に1ドル1円だったのです。
そのような歴史観に基づいて、最初にリスナーのみなさんに対するイマジネーションを投げかけるために「ティー・カップの悲劇」というお話をしたいと思います。これはどういうことかというと、戦後、日本円は1ドル360円だったのですが、その頃、イギリスの1ポンドは1,000円、正確に申し上げると1,008円でした。
私は総合商社の三井物産で働いてきたというキャリアのある人間ですが、これは先輩の話になりますが、1950年代に実際に起こった話で、当時、彼がロンドンに出張していた時に、その頃は外貨割り当てというものがあって、外貨は勝手に持ち出せないくらいの時代で、日本にお土産を乾坤一擲、何か買って帰ろうということでウエッジウッドの紅茶のカップをロンドンの名門百貨店「ハロッズ」に買いに行ったらそうです。すると、小さなティー・カップとお皿の1セットが25ポンドだったそうです。つまり、25,000円ということです。当時、サラリーマンの平均月収が1万円という時代でしたから、彼にとって2カ月半の給料をかたむけて1脚のティー・カップを手に入れたということになります。それはまさに宝物です。彼はそれを買って日本に帰ってきて、そのようなものでお茶は飲めないと言いますか、神棚に飾っておくような気分で宝物として鎮座させていました。
イギリスという国の面白さは同じティー・カップを現在もつくり続けているというところで、彼は、その後、ロンドンに出張する度に同じティー・カップを1脚ずつ揃えていったのだそうです。ざっくりと申し上げて、いま、そのティー・カップと同じものが当時の倍の値段の50ポンドになっています。1ポンドを200円くらいとして、せいぜい1万円です。いまの給与水準からすると、月給の2カ月半分を投入したというどころか、彼の感覚ではおそらく40分の1、或いは、50分の1くらいに値が下がってしまったということになります。しかも、平均月収がそれだけ上がっているために、相対的な価値観はもっと安くなっている感じだと思います。つまり、月収の40分の1から50分の1の感覚になるけれども、為替の相対的な感覚からいうと、それこそ価格が100分の1も安くなったように感じると思います。
要するに、それくらい為替は怖いもので、まったく同じ物であるのにも関わらず、まるで魔術のように価値がかわってしまうのです。例えば日本円の価値が高まっているために、更に、我々の経済生活が豊かになって月収が増えているためにそのような感覚になるということです。それが逆になってしまうと、何10万円の日本円を積み重ねても、その通貨の信用がなければまったく相手にされません。
私は1975年に人生で初めてロンドンに行ったのですが、当時、イギリスは「1ポンドは2ドルになった」と嘆いていました。つまり、イギリスは1900年頃、1ポンドは5ドルで、100年前と比べると1ポンドはドルに対して半分以下に価値を落としたということです。
そこで、日本の話題なのですが、冒頭に申し上げたように、日本が最初に「円」という単位の通貨を採用した1871年(明治4年)に1ドルは1円でした。1897年(明治30年)になって日本は初めて金本位制、つまり、日清戦争で日本が勝ち取った賠償金によってこの制度に切り替えて、1ドル2円の固定相場にしました。戦争に入る頃は実勢レートにおいては1ドル4円前後であったと言われていました。つまり、太平洋戦争になる真珠湾攻撃の直前、1ドル4円で日本は戦争に入っていったと言ってよいと思います。しかし、戦争に負けて、ドッジ・ライン(註.1)によって1ドル360円に決められました。これを分かり易くいうと、「敗戦とは何だったのか?」ということで、戦争に負けたことによって、日本の円の価値がドルに対して90分の1になってしまったという言い方もできるのです。
そして、360円から、1971年にニクソン・ショックが起こって、戦後の日本人が「為替は動く」という衝撃を受け、200円台に入っていき、その後、じわじわときて、ついに100円を割り込んで、現在は90円台にあります。仮に、ほぼ100円前後として、もしも、デノミをやって、100分の1に切り上げたのであれば、1ドル1円になるということですから、スタート時点に戻ったようなことにもなりますが、ここで、今年に入って、もう少し円安にもっていかなければならないという空気さえあるという話題が報道されていました。

木村>  菅大臣が財務相に就任という時にそのような発言がありましたね。

寺島>  日本人は日本という国の生業で、輸出志向の国になっているために、輸出にとっては円が安いほうが戦いやすく、我々は兎角そのような空気に引っ張られて、円安のほうがこの国にとっては有利であるということで、円安になると株が上がる傾向があります。
先週お話しした話の中においても、実は石油価格が1年前に比べると倍以上にもなっているのですが、石油価格が高くなることによって資源やエネルギーの価格が高くなっても、いわゆる日本国の通貨である円の価値が強くなっているために、高くなっている部分を吸収している部分も大いにあります。つまり、円高によって吸収しているということです。これが円高のメリットです。外から物を買う時には自分の国の通貨の価値が高まっているということのほうがよっぽどよいわけです。
そこで、私がいま話題にしておきたいことがあります。それは、バランス感覚ということで、日本円は安ければ安いほどこの国の経済にとってはプラスであるという考え方も固定観念で、戦後の日本の産業に対するあまりにも凝り固まった考え方であるということです。ただ一方的に円高になればよいというものでもありませんが、長期的な視点から申し上げると、自分の国の通貨の価値が国際社会において、じわりと緩やかに価値を高めていく状況のほうがはるかに健全なのです。
むしろ、通貨の価値が認められずにその通貨を受け取ってももらえないという状況の悲劇というものを戦後の日本人はあまり味わったことがなかったために身にしみていないのですが、私が1975年にロンドンへ行った時、日本のトラベラーズ・チェックは受け取ってもらえませんでしたし、市内で日本の円札を持っていっても銀行で受け取ってその国の通貨に替えてはもらえなかったのです。自分の国の通貨が国際社会において評価をされなかったことの虚しさや悲しさのほうがよっぽど強いのです。
 そのような意味において、ソ連崩壊後のロシアのルーブルが悲惨でした。それと同じ様に、日本人としていましっかりと考えなければならないことは、「円安のほうがよい」という単純な話ではなくて、日本国の通貨の価値を産業力、技術力を高めることによってじわじわと緩やかに上げいく方向にして、この国の産業と経済のありかたをもっていくということのほうがよっぽど大事で、腹を括る必要があります。そのような歴史観を持つべきであるということを話題にしておきたいのです。

木村>  そのようなプラス思考になることによって産業も気合いを込めて、気持ちだけではそう簡単にいかない話かもしれませんが、現状の状況を乗りきっていくために何をするのかということを産業界も考えるべきだということですね。このように思考を変えることによって強くなれる、或いは、光も見えるかもしれません。

寺島>  「隣の中国が必要以上に元を安く持ち堪えていてけしからん。もっと元を強くすべきだ」という意見がありますが、これは中国にとって物凄く資源が高くなってくる時等にはボディーにきいてくるわけです。そのような意味において、しっかりと考えなければならなくて、為替の問題については物凄く歴史認識が必要であるということです。

木村>  寺島さんのいまのお話を伺っていると、いつも寺島さんがおっしゃる「世界を広い視野で見なければいけない」ということに通じると思いました。
 ここで、リスナーの方からのメールを紹介します。東京のラジオネーム「テリーマン」さんからです。年齢は25歳から29歳の年代のかたです。
 「寺島さんが放送の中でお話しされていた『世界を知る力』、大変興味深く拝読させていただきました。この『世界を知る力』のテーマになっていたと思うのですが、広い視野で物事を見るという視点から寺島さんは今年どのような年になると思われますか?」。
 まさに、これが先週からのテーマになってきたわけですけれども、「広い視野で物事を見る」というところが、為替の問題について、或いは、経済、政治についても、我々の課題なのではないでしょうか。

寺島>  私はリスナーの方に感謝のメッセージとして発言をしておきたいと思います。いま、リスナーのかたが言ってくださった『世界を知る力』は、先月、PHP新書から出版された私の新刊のタイトルです。この本は驚くほど多くの人に読まれていて、東京の書店等の新書本ランキングのトップになっているくらいで、既に7刷りというところまできています。しかし、本が売れていることに「めでたし、めでたし」という話ではなくて、ここにきて私は非常に気にしていることは、新潮社が出版していた「フォーサイト」という世界情勢に関する雑誌が廃刊になったり、かつて、我々が非常に参考にした時事通信社の「世界週報」という雑誌もなくなり、総合雑誌も含めて世界を知るための回路だったような雑誌がどんどん廃刊になっていることです。日本人はこれだけグローバル化された時代だと言いながらも、実は、世界を見る力、世界を知る力がどんどん萎えてきているという危機感があります。
そのような中で、このリスナーの方が言ってくださっているように、私が書いた『世界を知る力』は、より広い視野から世界を考えてみようではないかということで、「時空を超える視界」という章を敢えて設けて、兎角我々が特に戦後を生きてきた日本人がいつの間にかあまりにもアメリカに依存し、アメリカに期待をしてきた時代を生きたために、「アメリカを通じてしか世界を見ない」という人間になってしまったということを指摘して、書き出していきました。
今年は「龍馬伝」がNHKで大河ドラマとして放送が始まりましたが、日本人は相変らず日本近代史は黒船がやって来たことに衝撃を受けて、この国の近代史は始まったという見方をとりがちです。しかし、実はそうではなくて、ユーラシアとの相関、例えば、ロシアや中国等とどのような相関によって生きてきたのかという目線さえもいつの間にか失っているというところを私は、『世界を知る力』の中で盛んに書いています。つまり、いつの間にか戦後の日本人は米国と併走した冷戦の時代ということに頭が凝り固まった形で物事を見る人間になってしまったということです。いまだに、地政学的に世界を見るという世界観の本が凄く受け入れられ易いのですが、実はそうではなくて、グローバル化経済の中で世界はネットワーク型に発展していて、アジア、アフリカ等の小さな国々までがそれぞれ発言力を持って、世界に向けて発信してくるという時代になっていることを認識しておかなければなりません。
個人の場合で申し上げても、ネット情報の時代において個人各々が自分のブログ等を使って発信しているという状況で、これも一種の全員参加型の時代に向けての象徴的な出来事です。発信ということで申し上げると、特定の大きなメディアだけが発信できるというような時代から、多くの人たちがそれに参画していくことができるという時代になったわけです。我々はネットワーク型によって緩やかに世界を見ていくということを視界の中に捉えていかなければこの時代は見えません。これが『世界を知る力』の根底を流れている問題意識なのです。

木村> 後半では、もう1つ今年の課題を「日米関係」というところにおいてお話を伺います。

<後半>

木村>  もう1人、リスナーの方からのメールを紹介します。ラジオネーム「かねちゅう」さんからです。
 「日本の社会、或いは企業について縦割り、部分最適、タコつぼ現象の実態からなかなか抜け出せないように感じております。寺島さんの坂の上の雲と歴史観、全体知のお話を大変興味深く伺いました」。
 いま、私たちが新しい年を迎えてどのように踏み出すのかという時に、もう1つ大きな課題になってくることは「日米関係」をどのようにしていけばよいのかということだと思います。ここのところをそのようなタコつぼに入らずに、広い視野で深く、ものを考える時に何がポイントになってくるのでしょうか?

寺島>  私はリスナーの方に本当にご興味があれば読んでいただきたい本があります。それは岩波書店の月刊誌「世界」2月号(2010年1月8日発売)で、私が最近力を入れて1万字の論文を書きました。それは「常識に還る意思と構想」というタイトルで、今後の日米関係のあり方について踏み込んで書きました。
ここで私が言いたいことは、普天間問題だけが日米関係の課題ではないということです。普天間のことだけで日米関係にある種のさざ波が立っているというような視点がとられがちなのですが、根底から考えなければならないことは、今年という年は戦争が終わってから65年経っているということです。日本人の内、8割以上が戦後生まれで、60年安保の年からちょうど50年の節目です。そして、冷戦が終わった時から既に20年が経っているわけです。
しかし、いまだに日本人が冷戦後の世界に正面から向き合っていなくて、冷戦を前提としてつくられた日米安保条約に縛られた日米同盟が継続されてきているのです。我々はかつての革新勢力の人たちが言っていた反米や反安保、反基地等の固定的な枠組みの中で議論するのではなくて、例えば冷戦の時代に吉田外交と言われた、つまり、日本が西側陣営の一翼をしめる形において戦後復興を成し遂げていくというプロセスの中で、日米安保が日本を守ってくれる仕組みとして有効に機能したことを冷静かつ、積極的に評価する立場の人間であっても、冷戦が終わって20年が経ち、1990年代には同じ敗戦国であったドイツが冷戦後のアメリカとドイツの関係をしっかりとテーブルに載せて、基地の問題において在独米軍基地を24万人から4万人に削減して、米軍との間の地位協定を大きく見直したような議論をするべきなのです。
しかし、日本は1990年代のクリントン政権の頃に、むしろ、アメリカ側のほうが見直したほうがよいのではないのかというような空気をもっていた時代があったにもかかわらず、その時に、アジアでは「冷戦がまだ終わっていない」という問題意識と宮澤政権以降の短命政権が交替するということによって、一切、本質的にそのようなものを見直さないままに21世紀に入ってきてしまいました。そして、21世紀に入って9・11が起こった後、アメリカのイラク戦争や米軍再編等の議論に冷静な判断もないままに組み込まれていったのです。
ここで政権が代わりました。日本側もアメリカ側も政権が代わって、いよいよ21世紀の日米同盟のあり方をテーブルの上に載せて、その中で基地問題や基地の地位協定の問題等をしっかりと議論していく必要があります。そのような枠組みの中で長期の構想とビジョンがあって、普天間の問題が再び位置づけられるべきであり、普天間問題だけでにっちもさっちもいかないというような空気になる必要は全くありません。ここのところで日本人が本当の思考力、主体的にものを考える力を取り戻さないと日本の未来は開けないのです。
それは実はアメリカにおいても大事なことで、アメリカをアジアから孤立させずにこれから長い間アジアにおいてアメリカの存在を高めていくためにも、同盟国である日本がアメリカとの関係を過剰な依存や過剰な期待の構造ではないものにしていくということが大事なプロセスなのです。しかし、いままでのあり方を一切変えたくないという人たちの恐るべき固定観念がそれを阻んでいたのです。
私が一番驚いていることはマスメディアについてです。メディアの人たちが「何事もいままで通りでよいのだ」というような、いままでのことを変えようとすることに対しての異常なまでの拒否反応を起こすことに首を傾げています。ここでしっかりと考えていただきたいことは、私の世代が、つまり、分かり易く言うと、戦後日本によって飯を食わせてもらってきた人たちが、これほど平和で安定した時代を生きて、徴兵令もない時代の日本を次にどのような形で創造的に引き継いでいくのかということに対して、そろそろ責任ある議論をしなければならいないと思います。私は「いままで通りでよいのだ」というわけにはいかないということだけは強調したいのです。

(註1、1949年戦後日本の経済的復興と安定のために、当時デトロイト銀行頭取で、GHQの経済顧問として来日したジョゼフ・ドッジJoseph Morrell Dodgeが立案した財政金融引き締め政策。その中に複数為替レートの改正による1ドルを360円という単一レートの設定がある )

2010年01月31日

2010年2月のスケジュール

■2010/2/7(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2010/2/19(金)05:30~
TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」

■2010/2/19(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

□2010/2/20(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

□2010/2/21(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2010/2/21(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

□2010/2/27(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2010/2/27(土)08:00~
讀賣テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

□2010/2/28(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」