2009年11月 アーカイブ

2009年11月29日

第38回

<平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体>

木村>  今月13日にアメリカのオバマ大統領が大統領に就任して初めて日本を訪れて、鳩山総理大臣と日米首脳会談に臨みました。注目されたテーマの日米同盟については「深化を目指して来年に向けて日米間で協議を始める事になった」と伝えられています。
 今朝のテーマは「平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体」です。この平成維新は政権交代の事を意味するのだろうとイメージできますが、これはおそらくお話の最後にどのような意味があるのかという事が見えると思います。そこで、日米同盟と東アジア共同体なのですが、この東アジア共同体は鳩山首相が雑誌に論文をお書きになって、ニューヨークで中国の胡錦濤国家主席との首脳会談においても触れられました。このような事で一挙に議論が百花斉放と言いますか、様々に取りざたされています。
 しかし、考えてみると20年位の非常に長い間の議論が背景にあって、いま、日米同盟と共にこれが何故議論されるのかというところに我々は注目する必要があると思います。

寺島>  東アジア共同体がいま語られなければならない理由は、その前提として日米同盟をどのようにしていくのかという事が絡みついてくるからです。その辺りからお話をしていきたいと思います。
 9月に鳩山さんが首相に就任して初めてオバマさんと会った時に、「未来志向の日米関係」という言葉を使って、「方向性としては未来志向で行きましょう」という事だけが議論になりました。今回は2回目の面談で、未来志向の中身に半歩前進して新しい姿が見えてきました。
 私が大事だと思った事は普天間基地をどのようにするのかというプロジェクト・チームの話は別として、今後1年間かけて日米同盟の中身をじっくりと協議するという事がテーブルの上に載ってきた事です。それは何故かと言うと、21世紀の日米関係というものを問題提起すると、「何か日米間にきしみが起こっているのではないのか?」、「懸案事項でもあるのではないのか?」という形で、今まで通りの日米関係であればよいという人たちから強烈な疑問視と反発を受ける構図になっているからなのです。
冷戦が終わったと言われてから今年で20年になり、再三この番組でも申し上げてきたようにベルリンの壁が崩れてちょうど20年になるわけです。そして、日米安保改定と言って日本が戦後の政治の季節で一番荒れ狂っていた1960年安保の時から来年でいよいよ50年となります。しかも、冷戦が終わってから1990年代に、世界史的には冷戦型のシステムについて大きな見直しが行なわれました。特に、欧州においてドイツやイタリアに駐留している米軍基地のステイタスや基地施設が存在している目的等を真剣に検討をして、基地を縮小していこうとか、ドイツとイタリアが地位協定上のステイタスの主権を取り戻していこうという流れが起こりました。
しかし、日本はとても不思議な事に、1993年に宮澤内閣が倒れて自民党単独政権が終わって社会党と自民党の連立さえも含めて、短命政権が物凄い勢いで変わるというように、政治が物凄く不安定な1990年代を過ごしました。本当ならば腰を据えて冷戦が終わった後の日米関係を考えなければならかったのです。何故ならば日米安保条約は冷戦の時代を前提として成り立っていた条約であり、ソ連を中心とする東側に対して西側としてどのように力を合わせて安全保障を確保するのかという事で「核の傘論」も含めて、まさに冷戦型の構造だったわけです。しかし、冷戦が終わってからも見直さないままに、敢えて言うならば小手先の見直しですませてきました。1990年代にガイドラインの見直しを行いましたが、この時に日本が非常に大きく踏み込んだ事は、日米安保極東条項を緩めて、条約の適用範囲をアジア・太平洋地域に拡大した事です。つまり、極東という地域だけの安全保障の事が対象だったのにもかかわらず、事態の性格で危機を認定するという事になったために、極端に言うのであれば、中東で何か事が起ころうが、中央アジアで事が起ころうが、米軍がそれに対して対応して動く事を日本にとっても共通の利害に関わるという形で無制限に極東という縛りが拡大していってしまう方向に日米安保の体制を見直したという事がガイドライン見直しだったと思います。(註.1)

寺島>  そして、21世紀に入って9・11が起こりました。アメリカは衝撃を受けて、アフガニスタン、イラクへと進軍していきました。我々の認識として、アメリカはテロとの戦いにまなじりを決して向き合わなければならないのですが、アメリカにとって物凄く利害のあるテロとの戦いで「不安定の孤」という言葉が出てきて、イスラム原理主義が力をつけてきている不安定の孤、つまり、中東から中央アジアまでのびる孤のような地域に対して、米軍を再編してしてでも立ち向かわなければならない動きが起こって、2003年11月に米軍再編というテーマが現実化してきて、それに呼応する形で日本も米軍再編と並走するように走ってきました。
 しかし、冷静になれば分かることなのですが、テロとの戦い、9・11後の言わば、脳震盪状態で思考停止になってアメリカについて行くしか仕方がないだろうと言っていた時とは違って、中央アジアで事が起こった時に、~我々は昨年、グルジアにおいての紛争を目撃しましたが~、日本がどこまで日本の国益としてそれを受けとめるべきなのかという事についてキチンとした方針を定めなければならないのです。つまり、日本がアメリカの戦争にすべてついていける程の覚悟と体制があるのかと言うと、そのような事は全くないわけですから……。むしろ、日本の国益をもう一度しっかりと見直してアメリカと連携して動くべき事とそうではない事をキチンと決めておかなければ、無制限にアメリカと行動を共にする事になってしまいます。
 イラク戦争の最大の教訓は、同盟国であり友人であるアメリカでも間違える事があるという事です。アメリカは間違ったという事を前提にしてイラク戦争に反対したオバマさんまで大統領にして、チェンジを図ったわけです。これはアメリカ国民の選択としてイラク戦争は間違った展開であったというところから成り立っています。しかし、不思議なことに日本はイラク戦争を支持して、イラク戦争と並走した選択をとったにもかかわらず、「アメリカの無謬性」という言い方がありますが、アメリカは決して間違いをおかさないという事について根底から考え直すことをしませんでした。しかし、日本はアメリカとどのような適切な位置関係をとっていけばよいのかという事を考えないままに、日米同盟という名前の下に限りなくアメリカについていく事、そして、日米安保の枠組みを守っていく事がこの国の安全と安定のためには大切なのだという固定観念の中に今でも嵌り込んでいると言っても誇張ではありません。そこで、これは本当に誤解をなきように何回も繰り返し申し上げておかなければならないのは、反米や反安保、反基地等という昔の革新勢力の人たちが言っていたような三題噺を繰り返しているわけではなくて、未来志向の視点においてアメリカとの関係を今後も大事にしていきたいと思っている人たちこそ、今までのようにアメリカに対して過剰に期待をしたり、過剰に依存したりしているような日本でよいのだろうかという問題意識を強く持つ必要があるのです。
そのような視点から日本における米軍基地をしっかりと見直してみると、これは反基地というところに議論が飛ばないまでも、冷静に考えると、現在、東京23区の1.6倍の面積に相当する米軍基地が日本にあります。その基地を維持するためのコストの7割を日本側が負担しています。米国側の資料をじっと見ているとアメリカが海外に持っている大規模海外基地のトップ10ランキングを見てみるとトップ5の内の4つが日本にあるのです。北から申し上げると、三沢、横田、横須賀、沖縄の嘉手納です。そのような視点で考えると、「何故、日本にアメリカの超大型海外基地がトップ5の内の4つも入っているのか?」、「そのコストの7割を日本側が何故負担しているのだろうか?」という素朴な疑問がわくはずなのです。
これは、敢えて踏み込んで言うと、日本が7割も駐留コストの負担をしているために、アメリカ軍にしてみれば最も有利な海外基地という事だからです。色々な理由をつけてみても、日本、とりわけ沖縄に米軍基地を配置している事がアジアの不安定から日本を守るためには大切なのだという説明が返ってきます。それは、半分くらいは重要なポイントでもあるのですが、日本人としてそろそろ考え直さなければならない事は、「本当にそうなのか?」という問い直しです。これは冷静に時間をかけて一つ一つ基地の使用目的を点検して、日本側の主張を明確にし、段階的に基地を縮小して地位協定上の日本の主権をしっかりと確立していく方向に向かわなかったのならば、アメリカとの関係においてだけではなくて、日本と世界との位置関係おいて日本が大人の国だというように認識されると思わないほうがよいと言えます。敗戦後のある限られた期間に外国の基地が存在しているという事は占領軍という形で大いにあり得る事ですが、敗戦後65年経っても、更には、この先100年先まで米軍基地がいまのまま在ってくれてもちっとも構いませんという程の感覚になってしまっている国民が国際社会の中でしっかりとした自覚をもった国民であり、民族だというように見られるのかという事については甚だ疑問を持たざるを得ないわけです。とにかく、まず日本は戦後65年というけじめに向けて、更には日米安保50年というけじめに向けて、アメリカとの関係を大事にしながらも、経済におけるアメリカとの関係により踏み込むためにFTA(註.2)を同時に持ち出し、日米の産業協力の仕組みも勿論前向きに進めるために提案するのです。その一方では、基地安全保障の問題についてはしっかりとした自覚を持って向き合うべき局面にきているわけです。そこで、東アジア共同体の話と繋がります。
それは何故かと言うと、日本がどんなに時間をかけても自律という志向を強めていくという事をこちらサイドで考えるのであれば、もう一方のサイドに近隣のアジアとの信頼関係の問題が横たわっているのです。前回の放送でもその話に触れましたが、韓国の責任ある立場の人が私のオフィスに来て議論をしていったのですが、ここの部分について深くうなずく事は日本は東南アジアとの関係においては戦後、一定の信頼関係を確立していく上でうまくやってきた部分があるけれども、肝心要の中国と韓国との近隣の関係において、本当の意味の信頼関係を確立しているのかと言うと、そういうわけでもなくて未だに潜在的な意識の中における相互不信がくすぶっているという現実があります。
中国は米軍が日本に駐留していて東京のすぐ近くに米国の陸軍第一本部の指令部があるという構図こそ、不思議に思わなければならないのですが、それは中国側にかつての日本軍国主義の復活を押さえる瓶の蓋として機能しているのだという認識があるので、日本が自律志向を強めるとすると、それは中国にとって不安であると言いますか、むしろアメリカが日本に今まで通りに駐留してくれるほうが中国にとっても、日本にとっても利益になると考えている人たちもかなりいます。
韓国も日本という国の歴史問題を引きずり、日本に対して潜在的なある種の不信感を持っています。一方、日本側にも中国が軍事的に力を強めてくる事に不安を抱いている人たちは沢山いますし、経済的に力をつけてきている事に対する不安感を抱いている人たちも沢山います。問題はそれを否定したり、腹を立てたりするのではなくて、相互不信を率直に認め合って、相互不信を解消していく方向として東アジア共同体という事を言い続けなければならないのです。

木村>  そこで、それをどのように目指していくのかという事については後半にお伺いします。

<後半>

木村>  寺島さんの立場からおっしゃった、日米同盟を見直していく一方で東アジア、近隣諸国との信頼関係が欠かせない。そこで東アジア共同体に繋がって、その思想はどのようなものかという事にお話が広がりました。

寺島>  それは段階的接近という事を強く言わざるを得ないと思います。それは何かと言うと、ある日突然、合意が形成されてアジアにEUのような共同体の仕組みができるのではないかと期待をしている人たちがいたとしたら、それは相当的外れな人です。現実にこれだけの相互不信があるのですから、そのような表現にはリアリティーがありません。EUが今日まで歩んできたプロセスをよく考えてみると、そもそもEUはドイツとフランスの相互不信からスタートしているのです。フランスにしてみれば、20世紀に2回も血で血を洗う戦いを行なったドイツが常に北側に存在しています。この国が戦後に経済力をつけ、力をつけてきている事に対して、この国の脅威を削ぎ落さなければならないという発想から、ドイツを欧州という共通の家の中に収め込む事によって制御する事がEUの根源的なところに隠された思想なのです。ドイツも東側に力をつけて東欧圏に影響力を拡大していこうとすると、ドイツに対する根強い不信感は物凄いもので、ドイツによる被害、つまりナチス・ドイツによる膨大な被害を受けたポーランド等の地域があります。このような事になってくると、自ら欧州という共通の箱に収まる事によって、そのような脅威、不安等を削ぎ落としていかなければならないというドイツの意図も思惑同士がうまく噛み合って、そもそも石炭と鉄鋼の共同体構想から今日のEUにステップ・バイ・ステップで段階的に進んできています。
それと同じように、東アジアで共通の利益になる事を積み上げていこうという発想が必要です。教育の世界で言うと例えば、欧州がエラスムス構想(註.3)を進めているという事があります。これは単位の相互認定、例えば、日本に留学して取った単位も母国で認めるというもので、日本人が中国や韓国に短期留学をして取得した単位も日本の大学として認定するというような事が進んでくると、ますます人の交流、つまり、大学生の交換も非常に促進されるわけです。更に、これは既に動いてきている話ですが、東アジアでASEAN+3という形で進めてきた宮澤イニシアティブや、チェンマイ・イニシアティブと言われている通貨交換協定、つまり、アジアに通貨危機を起こさないために通貨を交換して、危機が起こった時にプールしておいて対応していくという構想が段々と充実してきています。このように金融における連携に加えて、今後物凄く大事になってくるのは、環境やエネルギーの分野における連携です。例えば、欧州においてはユーラトム(Euratom=欧州原子力共同体)という原子力の交流機構があります。今後、北朝鮮の核問題を制御していくためには東アジアで原子力の平和利用技術の交流のベースをつくって、お互いの意思疎通を行なって東アジアを核への誘惑から断って、平和利用についてはお互いに技術を交換して支え合うという仕組みができてくるならば大変に意味のある事になります。
このように、お互いのメリットになるようなプロジェクトなり構想なりを実現していき、段々と力を合わせればプラスになる事が起こるのだという事を積み上げていき、その向こう岸により踏み込んだ制度をつくったり、組織をつくったりという形になってくるのであればしめたもので、それが東アジア共同体という形をとってEUのようになっていく時代になると大変な前進になります。更に、それが通貨同盟のような事に繋がっていくかもしれません。
したがって、東アジア共同体というキーワードの下に、具体的にプラスになる構想を実現していく事が大事なのです。来年はいよいよAPECの総会が日本で行なわれますが、これから1年間をかけて日米同盟の見直しについての協議、そして、東アジア共同体に肉づけをしていくような構想の展開が車の両輪のように噛み合ってくるのならば、この話は必ずしも絵空事にはならないのです。私が「平成維新」と申し上げた意味は、これは鳩山さんが使った言葉ですが「明治維新のように日本を思い切り変えていく」という構想の一つの柱として、維新という名に相応しい大きなパラダイム転換をもたらす可能性があるのではないのかと思います。

木村>  我々の歴史認識として、それだけ大きな転換点に立っているのだと。つまり、ものの考え方、見方もそれだけ大きく新しくしなければならないという事が、しっかりした基盤となって、そこになければならないという事ですね。

(註1、1996年4月に行なわれた日米首脳会議で「日米安全保障共同宣言=21世紀目指す同盟」が発表された。その中で「協力指針=ガイドラインの改正、見直しを行ない、日本の周辺地域における有事に備える日米の協力関係を構築する」という内容が盛り込まれた)
(註2、Free Trade Agreement =自由貿易協定)
(註3、EU加盟国間の人物交流協力計画の一つ。国境を越えて教育範囲の連携と学生、或いは、学者の交流を促進するもの。異文化交流も促進するとしている)

2009年12月のスケジュール

■2009/12/6(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/12/12(土)08:00~
讀賣テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

■2009/12/18(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」

□2009/12/19(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/12/20(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/12/25(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

□2009/12/26(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

□2009/12/27(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/12/27(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」年末特番

第39回

<戦後なる時代~赤胴鈴之助と月光仮面と団塊の世代~>

木村>  先週の放送では「平成維新、外交と内政~日米同盟と東アジア共同体~」というテーマで、我々がいまどのような大きな転換点に立っているのかという事と、そこでものを考える時にどのような視点が必要なのかというお話を伺いました。
 今週の前半は、「寺島実郎が語る歴史観」をお送りします。テーマは「戦後なる時代~赤胴鈴之助と月光仮面と団塊の世代~」で、なかなか楽しみな設定です。私は赤胴鈴之助と月光仮面はテレビで放送された時のテーマソングは歌えますし、まさにこの世代です。今朝はどのようなお話になるのでしょうか?

寺島>  毎日新聞が1957年に行なった全国の少年の意識調査の中で、「一番好きな存在」として第1位だったのが、赤胴鈴之助だったというくらい、我々の世代はある種の影響を受けています。

木村>  まさに、団塊の世代ですね。

寺島>  実は、私は「赤胴鈴之助」の全巻を手に入れて週末に読み返しました。赤胴鈴之助は、戦後なる時代を考える上で我々自身の体の中に相当な影響を与えている事があるために敢えて話題にしていきます。
マニアックな話になりますが、赤胴鈴之助は、我々の世代ならば知っている人もいると思いますが、「イガグリくん」という漫画で大ヒットした福井英一さんが作者です。当初、広島の学習雑誌に単発ものの作品として掲載されました。信じられない話なのですが「泣きむし鈴之助」という名前で描いた作品を素材にして、「赤胴鈴之助」を「少年画報」という少年雑誌で連載を開始しました。第1回目は福井さんが描いたのですが、その直後、33歳で過労によって亡くなってしまったのです。そして、第2回目から急遽、福井さんが始めた連載を引き継いでくれと白羽の矢が立って、武内つなよしさんが引き継いで描いたのです。第2回目から赤胴鈴之助は作者が変わったという形でスタートしたのです。赤胴鈴之助の主題歌で、「剣をとっては日本一」というフレーズで有名な歌は誰もが知っていると思いますが、赤胴鈴之助こそ、様々な意味で我々のヒーローであり、アイドルだった時代がありました。
 赤胴鈴之助はお父さんを亡くした孤児なのですが、江戸=東京に出てきて、神田お玉ヶ池の千葉周作の道場に入って、そこから育っていくという物語です。赤胴鈴之助を思い出して頂くと「真空斬り」という技の事が浮かぶと思います。剣を使って人を殺すのではなくて、手で空気の渦捲きをつくって人を倒して失神させるという、真面目に考えるとそんな事はあり得なくて科学的な話ではないという事になりますが、真空斬りが彼の勝負手だったのです。

木村>  決して命を殺めないでやっつけてしまうわけですね。

寺島>  それがどのような事から成り立っていたのかと言うと、一種の平和主義と言いますか、いかにもいかにもの戦後と言いますか、つまり、武力をもって問題を解決しないという戦後憲法のようなものが日本に登場して、1951年サンフランシスコ講和条約が結ばれて日本がようやく独立国に入ったけれども、まだまだ戦後なる時代をひたすら生きていた時代の事です。その時に、真空斬りこそ、大げさに言うと平和憲法の象徴のようなものだと言えるでしょう。つまり、人を殺めない、武器をもって倒すのではなくて、真空斬りで人を気絶させるという事を勝負手にした少年剣士が登場してきたという発想と、「親はいないが元気な笑顔」という歌のフレーズがありましたが、「親はいないが」という事こそ、その時代を生きた少年にとってはとてもしびれました。我々の周りには親のいない子はたくさんいたのです。何故かと言うと戦争によってお父さんを亡くした子供たちが我々の先輩の世代にはたくさんいたからです。
 つまり、凄く冷静に考えてみると、親はいないが元気な笑顔で戦争を引きずった時代の日本において、そのメッセージが非常によくわかり、更には、真空斬りに象徴されるような、平和主義のようなものがそこに横たわっているわけです。しかも、この時代に「少年画報」という月刊漫画雑誌が一大ブームで、みんな貧乏だったためにこのような雑誌が買う事ができる子供が周りには滅多にいなかったのですが、ピーク時には80万部を発行していました。みんな回し読みをしていたので、読んでいる人は発行部数の10倍くらいはいたと言われていて、ほとんどの少年たちが「少年画報」や「少年」等の月刊誌を読んでいて、1960年代に入って少し日本が豊かになってきてから、週刊漫画雑誌の「サンデー」、「マガジン」等の時代に入っていくのです。その一つ前の団塊の世代の文化をつくり上げたものとしてこのメディアは非常に面白いのです。
 余談になりますが、先程、申し上げましたが、赤胴鈴之助を全部読みなおしてみて、自分との不思議な因縁と言いますか、赤胴鈴之助との縁を感じました。それは何故かと言うと、私はいま若い人たちの研修の場にするために、世田谷にあった3万冊の書籍を神田のすぐ近くの九段に移して、今年の春から「寺島文庫」をスタートさせました。私はいま力を入れていて、若い人たちの色々な研究会ができてきています。その場こそ、まさに先程申し上げた、神田お玉ヶ池の千葉道場の近くにあるのです。
 次に、真空斬りの不思議な話なのですが、この技は箱根山に赤胴鈴之助が修行に行って、出会った大鳥赤心斎という先生に教えてもらった技でした。その場所が強羅なのですが、その強羅こそ私の箱根においての物書きの場のすぐそばなのです。私がふと思った事は不思議だなあという感覚で、赤胴鈴之助の道場が私の寺島文庫のところにあり、真空斬りを身につけた修行の場が私の物書きの場である箱根の強羅であったわけです。
 この話の面白さは、現代の漫画としてはちっとも面白くないだろうなあと思っていたら、登場人物のネーミング自体が爆笑ものだったのです。横車押之助(よこぐるまおしのすけ)というキャラクターもいましたが、このように名前を見ればキャラクターがわかるのです。また、真空斬りを教えてくれた大鳥赤心斎先生をやみ討して殺したのは火京物大夫(ひきょうものだゆう)です。これは誰がみても卑怯者にみえるわけです。要するに、名は体を表すではないのですが、人の名前に物凄く特色づけていると言いますか、私はこれに影響を受けたのだと思いますが、人にやたらと変なあだ名をつける傾向があって、赤胴鈴之助を読み過ぎたたせいなのかと今頃になって気がつきました。
 いずれにせよ、それほどまでに赤胴鈴之助は我々の世代の少年たちに大きな影響を与えました。その後、吉永小百合さんの主演で、赤胴鈴之助のラジオ・ドラマ番組がラジオ東京、いまのTBSラジオですが、昭和32年、1957年の1月からラジオ放送が始まり、その後、テレビドラマにもなりましたが、その時に、千葉周作先生の娘役で登場してきたのが、「さゆり」という名前の役名で彼女が演じました。吉永小百合が大女優になったきっかけとなった作品が赤胴鈴之助のさゆり役で自分と同じ名前の役名というのも不思議な話だと思います。
 続いて、「月光仮面」です。どこの誰かは知らないけれど……、月光仮面は誰でしょう」という歌(註.1)のフレーズが耳に残っていると思いますが、誰だって月光仮面が誰だかわかっているというストーリーでした。いきなり登場して来る白装束の月光仮面は、コンセプトとして明らかにアメリカの「スーパーマン」の影響を受けている事がわかります。アメリカの影響を受けながら、何やら不思議な奴が登場して来るのですが、アメリカのスーパーマンが空を飛ぶような超人的な能力を身につけている事に対して、月光仮面は超人でも何でもなくて、ごく普通の人がオートバイに乗っているという、今にしてみれば少しもたついたような話だったのですが、ある意味において不思議な違和感、つまり、オートバイに乗って現われる等身大の悪を懲らしめるヒーローだったのです。極端に特技を身につけているわけでもない人が少年の心を揺さぶったという事は、いかにも日本の戦後らしいのです。
 したがって、団塊世代の戦後の先頭を走ってきた人たちのある種の心象風景の中に、日本のテレビ文化の最初の時期を少年少女として過ごしてきた人たちの頭の中の残影として、赤胴鈴之助や月光仮面等が残っているわけです。
 ここからは少し真面目な話になりますが、先程申し上げたように赤胴鈴之助という存在自体が戦後の日本の陰の部分であり、お父さんのいない子供たちが健気に生きていき、しかも、真空斬りが人を殺めたりしないで空気を動かして人を失神させていくという技に象徴された平和主義のようなものを身につけていました。それはどこか爽やかで貧しい時代ではあったけれどもそのようなものをヒーローにしてきた少年時代を背負っていたのです。であるが故に、良いところばかりではなくて、若干綺麗事に走ると言いますか、自分たちが本当に泥まみれになって不条理のようなものを体験した事がない世代でもあるわけです。
これはどのような意味かと言うと、私が中東問題に巻き込まれ、イスラエル等を訪れた時期の事ですが、イスラエルが戦争になるかもしれない状況になった時に国外に退去してくれと言われて、その時に私と同じ世代の人間で日本からある情報活動のためにイスラエルに来ていた人が、国外に脱出せずにレバノン侵攻作戦で動くイスラエル軍の動きをフォローする等と言って国道1号線のところで物凄い爆音を立てて動く軍隊や砂煙を上げる戦車の動き等を見ているうちに、これは冗談ではなくて失禁し、気を失って放心状態になってしまいました。更には、精神的におかしくなってしまって日本に送り返された人に私は会った事があります。私は彼と話をして思った事は、「彼だけではない」という事です。戦後を生きてきた日本人には、銃口を突き付けられて「お前は自分の思想を変えろ」と言われたり、或いは、銃口を突き付けられた恐怖の中で生きた事がない。例えば、兵隊検査によって並ばされて全裸で張り倒されて、こんな不条理がこの世の中にあってよいのかというような軍隊生活を幸いな事に体験した事がないのです。圧倒的にぶちのめされるような不条理という状況になった事がない世代という事です。
心象風景の中に月光仮面と赤胴鈴之助という世界を背負ってきた世代、つまり、団塊の世代がいよいよ高齢化社会を支える中核世代になっていく時代が迫っています。昭和20年生まれがいよいよ来年に65歳になるわけです。戦後に生まれた人間が65歳に到達するという時に、65歳から60歳にかけての世代が、言わば団塊の世代だと言ってもよいと思いますが、これらの人たちが背負ってきた戦後なるものを試されると言ってもよいと言いますか、それが単なる綺麗事の世代で終わるのか、それとも、いよいよ責任を背負って戦後なるものに新しいけじめと方向づけを与えなければならないという事に向かっていくのか、いま凄く大事なところにきているのだと思いながら赤胴鈴之助を読んでいたのです。

木村>  言葉がうまくあたっているかわかりませんが、爽やかさと同時に持たなければならない苛酷なタフさというのでしょうか、問われると少し言葉がよどんでしまうという思いがあります。私も同じ団塊の世代を生きてきて、もう一度あらためて足元を考えてみるきっかけにしたいと思います。

寺島>  また、「鉄腕アトム」等についても議論をしてみたいと思います。

<後半>

木村>  後半はリスナーの方からのメールを元にお話を伺いたいと思います。福岡のラジオネーム「森林おじさん」さん、50歳台後半の方からです。
 「事業仕分けのニュースを観て感じた事ですが、今回の税金の使い方を考え直すというスタートは大事なことで、いずれは手掛けなければならない大手術の幕開けだと思います。問題なのは収入、歳入が少ないのに借金をしてまで使おうとするバブルな考え方ではないでしょうか。日本全体が財政的に破産状態にあるのに全く気にせず予算を要求する姿勢は納得いきません。やはり、歳入に見合った支出にまず戻し、借金を返せる強い体質をつくりあげる必要があるはずです。そこからが本当の日本再建のスタートではないでしょうか」というメールです。
 もう1通メールをご紹介します。東京のラジオネーム「カナリヤ」さん、社会人1年生の方からです。
 「このような番組が将来に役立つはずだと確信して勉強のつもりで聴いています。行政刷新会議の事業仕分けは来年度予算の概算要求から無駄遣いを洗い出すそうですね。そもそも概算要求でおよそ95兆円を計上した事自体、今年度の政府の予算をかなり上回っているのですが、何故なのでしょうか。一体、この国の財政は今後、持ち堪えられるのでしょうか。僕たちの世代にとっては今のような状況ですと将来が不安になります」。
 寺島さんは事業仕分けと日本の予算のあり方をどのようにお考えでしょうか。

寺島>  リスナーの方たちの問題意識の鋭さと的確さは本当にその通りです。何故このような事になってしまっているのかというと、要するに、いま行なおうとしている事の正しさと共に、しっかりと確認しなければならない事は、官僚が思いついたような事業にお金をつけて、どんどん肥大化してきたものを一旦、ここで精算しようという事で、前政権がコミットしたような話を全部テーブルに載せて、本当にそれらが必要なのかどうかを見直すという作業の重要性を我々はしっかりと理解しなければならないし、事実、そのような形によって無駄遣いがなされてきたという事も明らかになってきている部分もあるわけだからです。
 しかし、このような種類の予算の無駄を排除しようという事だけで政治のエネルギーが使われていくと、本当の意味においての未来志向の構想も削られていくという事になります。変な言い方になりますが、このようなやり方だけを行なうと後藤新平が出てこないと言いますか、政治がリーダーシップをとって体を張ってでもやらなければならない事があるはずなのです。それは、例えば、東京が関東大震災に襲われた後、後藤新平は昭和通りという幅の広い通りをつくったのです。その時にみんなは大反対をして、こんなものに金を使うのはとんでもないという話だったのですが、東京の将来を見据えたのであれば、これくらいの幅の広い道路を災害対策等のためにつくっておかなければばらなかったので、珍しいようなまともな道ができたわけです。
 無駄を排除しようとすると、日本がちまちまとした国となって、大きな構想に向かわなくなってしまいます。しかも、恐れるべきはポピュリズムというもので、要するに、みんなから拍手がおこるような政策にお金をつけていこうとする迎合主義です。これはどのような意味かと言うと、例えば、前政権が給付金によって1人、12,000円を配布していました。これは瞬間風速的には12,000円を貰わないよりは貰ったほうがよいだろうと拍手がおこります。子供手当についても生活が苦しい中で、子供手当の26,000円を貰えたのであれば、それは大変結構だという話になりがちです。しかし、家計にそのような形で税金によって集めた金を直接投入して景気に刺激を与えようとか、少子高齢化対策だという色々な名前の下に、そのような形によってお金を使っていく事でどんどん財政を肥大化させていったのであれば、先程のリスナーの方の質問にもあったように、バランスがとれなくなると言いますか、それはやったほうがよいのかもしれないけれども、どうしてもやらなければならない事なのかというものにどんどん拍手がおこるために金がついていってしまう結果を生みます。我々はどこかでけじめをつけなければならないのです。そして、ポピュリズムをしっかりと抑えきっていかなければならないと思います。誘惑は感ずるけれども、つまり、それは票に繋がるから、このような制度の下にはそちら側の方向に引っ張られる可能性があります。しかも、無駄を排除するという議論に何ひとつ反対する必要がないという事で与しがちなのです。しかし、その前提に大きな日本の未来を見据えた政治のリーダーシップと言いますか、未来に対する構想力をしっかりもっていないと本当にエネルギーが無駄遣いになっていく国になってしまうという事なのです。

木村>  私たちが何をしなければならないのかという事で、キチンとした議論ができるかどうか、これからの番組の中においても是非、寺島さんにそのような視点からもお話を伺っていきたいと思います。

(註1、原作者は森進一の歌唱で有名な「おふくろさん」の作詞者として知られる、川内康範)