2009年09月 アーカイブ

2009年09月27日

2009年10月のスケジュール

■2009/10/2(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

■2009/10/4(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/10/10(土)08:00~
讀賣テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

□2009/10/17(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/10/18(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/10/18(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2009/10/23(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」

□2009/10/24(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
□2009/10/25(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2009/10/25(日)09:00~
NHK総合「日曜討論」

■2009/10/30(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー

□2009/10/31(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

第34回目

<中東の新しい局面~アメリカと中東~>

木村>  前回の放送は「インドと日本~日本を見つめる定点座標~」というテーマでした。 今朝のテーマは「中東の新しい局面~ウィーン中東会議で講演して~」というテーマです。お話の中身に入る前に「中東協力現地会議」が一体どのような会議なのか伺いたいと思います。

寺島>  これは1973年に石油危機があってその後に財界総理とも言われた日本興業銀行の中山素平さんと三井物産の中興の祖とも言われている水上達三さんの二人が中心となり、今の経済産業省と一緒になって日本と中東との関係に腰を入れて考えた方がよいという事でつくった会議で、今年で34年続いています。
私は今年で4回目の出席なのですが、ちょうど今世紀に入ってから1年おきくらいに中東協力現地会議がウィーンで行なわれて日本から中東関係のビジネスに関わっている人たちや官公庁の人たちが150人くらい参加します。そして、中東からも現地に張りついている日本の各企業の支店長や外交官等のほか、日本人ではない人たち、例えばウィーンにあるOPECの事務局の人たち等中東に関わりのある人たちが一堂に会して議論を深めるという場が続いているのです。そこで定点観測のような役割を果たしていて、8月末に話をしてきました。
日本と中東との関係の変化については後ほど話しますが、考えてみると、今年も9月11日が過ぎていきました。私はこの数字に物凄くこだわっているのですが、9・11からちょうど8年が経ち、今年の9月10日迄の間にイラクで亡くなった米軍兵士が4,339人、アフガニスタンで亡くなった米軍兵士が822人で、ついに、両者を合わせて5,161人となりました。アフガン、イラクにおいて結局多国籍軍の兵士、現地の民間人等を含めるとどんなに少ない推計でも15万人の人が亡くなったであろうという8年間を過ごしてしまったのです。
9月11日の事件が起こって、ブッシュ大統領が「テロは、犯罪ではなく戦争だ」と言って、アフガン、イラクと攻め込んで行きました。その結果、これだけの人たちを犠牲にしてアメリカ自身も大変な消耗をしているという話は以前からこの番組でも話題にしてきています。アメリカはイラク戦争に反対していた立場のオバマ大統領を選び出して、必至にいま中東での立ち位置と言いますか、それを変えようと一生懸命にまさにチェンジさせようともがいているというのが現下の状況だと思います。

木村>  オバマ大統領は最初の特使を中東に派遣しましたね。

寺島>  前の上院院内総務のジョージ・ミッチェルです。私は今般中東協力現地会議で講演をウィーンで行なうにあたって、アメリカの対中東戦略がどのようにいま変わりつつあるのかという事を色々と調べました。そのような中から浮かび上がっている構図なのですが、一言で言うとオバマ政権は途方もなく大きな瀬戸際に来ています「第二のカーター政権」になるのか、「第二のFDR政権」になるのかという事です。どういう意味かと言うと、ベトナム戦争で敗退して、1975年のサイゴン陥落の後、アメリカはカーター大統領を選び出しました。カーター大統領は人柄のよい「癒やしのカーター」と言われていたけれども、彼の政権のあいだにイラン革命が起こって常に対応が後手後手に回ってカーター政権は一種の弱腰外交の典型のように総括されていて、外交的には失敗政権だと見られています。
 いま、ベトナム・シンドロームと同じ様なイラク・シンドロームにアメリカは襲われていて、どのようにそのシンドロームから脱却していくのかという時にオアバマを選び出しました。オバマ政権は、第二のカーターのように綺麗事は並べ立てるけれども結局成果を収めないまま失速をしていくかもしれないという見方が起こっているという一つの見方があります。もう一方で、オバマはアメリカの再生を担って相当な事を対中東戦略にも実行するのではないのかという期待感もあります。その分水嶺にいよいよさしかかり始めているというのが現下の状況だと思います。
その時の重要なポイントが、イラクとアフガンに跨るところに位置するイランという国の存在なのです。イランとの関係をどのようにするのか、特にイランの核をどのように制御するのかという事が大きなテーマとして横たわっています。イランという国は非常に強かで1979年のホメイニ革命以来、シーア派、イスラム原理主義の総本山としてひたひたと力をつけてきました。皮肉にもアメリカが選挙を通じてイラクをシーア派の政権にしてしまったため、アメリカが予定している2011年湾岸から撤退するという事がもし起こったら、アメリカは結局5,000人以上の若者を死なせてまで、こともあろうにイランを強大化させて中東を去るという事になりかねないわけです。イランが核兵器を持つという事になったら本当に呪われたシナリオになってしまいます。
 イランは「中東の非核化」という言葉を強く投げかけています。どういう事かと言うと、我々も北東アジアの非核化=核なき北東アジアにするという事を目指そうと発言しますが、中東全域を非核化するのであるならばイランは自分たちの核の誘惑を断って核を放棄してもよいと言っています。つまり、非常に重要なのはイランも北朝鮮も核問題で国際社会から孤立しているけれども北朝鮮とは違ってイランはただの一度も核兵器を持つという事は言っていないのです。あくまでも原子力発電、つまり、核の平和利用について権利を保有しているという事を主張しているのです。その延長線上で中東の非核化条約ができるのであれば参加してもよいと言っているのです。これが何を意味しているのかと言うと、アメリカにとってみると大変に悩ましい事を言っているわけで、つまり、イスラエルが本当は核を持っているけれども、持っているのか持っていないのかわからないような状態にしたまま封印してある問題を引き出してくる事になるわけです。イランが言っている事を突き詰めていくと、もし、アメリカがイランに核を放棄しろとか、核なき世界を実現するとかいう事を本気で言っているならば、まず、「中東におけるアメリカの戦略パートナーであるイスラエルの核をキチンと制御してから自分たちに核を放棄しろ」と言ってくれという事です。アメリカの世に言うダブル・スタンダード=二重基準で言っている事があぶり出されてしまうわけです。イスラエルの核はOKだけれどもイランの核は駄目だという論理はどこから出て来るのだという事でイランは刺し違えてる構えなわけでアメリカにとって実に悩ましいのです。
何故、悩ましいのかと言うと、国際政治を議論する時にはこの事を知っていなければならないのですが、1969年、ニクソン大統領の頃にイスラエルにゴルダ・メイアという女性の首相が就任しました。日本でもアメリカと日本の間に核持ち込みに関する秘密了解が最近問題になっていますが、イスラエルとアメリカの間でも核に関する「メイア=ニクソン秘密了解」が出来上がったのです。

木村>  「密約問題」ですね。

寺島>  どのような密約かと言うと、要するにイスラエルが核開発に成功したという事をアメリカは認識しているのだけれどもイスラエルは核保有しているという宣言をしない、世界に対して俺たちは核を持っていると宣言をしない代わりにアメリカはイスラエルをNPT=核拡散防止条約の中に引き込まないという密約をしているという事です。つまり、イスラエルの核問題を封印してしまったという事なのです。
 中東全域の非核化問題、イランの核問題はその事に手をつけないと制御出来ないのです。一般的に日本のメディアもアメリカの情報に明るい人たちも、オバマ政権は、例えば米国内のユダヤ勢力やイスラエルの支持というものを常に語っていて、ユダヤ・シフトにしている政権と言いますかユダヤ支持、イスラエル支持を正面から掲げた政権だとよく言われます。しかし、そこにもし傾斜していたならば今度はイランの核問題や中東におけるアメリカの影響力を最大化できないという悩みがあります。
 例えば、つい先日、国連総会を前にしてアメリカは国連安保理次会にNPTの普遍化、つまり全ての国をNPTに引き込んでいくとか、CTBT=包括的核実験の禁止条約を全ての国に批准させて、招き込んでいくような流れをつくって、オバマの核なき世界を踏み込んだ構想を語り始めています。
 しかし、この「全ての国に」という言葉はNPTを普遍化して全ての国を招き込んでいくという事のターゲットはイランであり、北朝鮮でもあるけれども、先程のダブル・スタンダードを解消するためにはイスラエルを招き入れなければ全ての国にはならないという事になってしまいます。事実、ここにきてオバマは我々が思った以上に本気で踏み込んで、この言葉の延長線上にイスラエルさえも想定して引き込もうとしている空気が出始めています。
したがって、イスラエル側からすると、自分たちが持っている核についてアメリカが方針転換してくる可能性を察知して非常に警戒しているわけです。奇しくも今年の春のイスラエルの選挙でイスラエルの政権はベンヤミン・ネタニヤフという強硬派保守政権が出来てしまいました。イランの方もアハマド・ネジャドという大統領が再選されてこちらも強硬派保守政権となりました。
イスラエルはオバマがもしも本気で核なき世界に踏み込んで来て、自分のテリトリーにまで踏み込んで来るならば極めて危機感を感じており、ここからが非常に危うい話なのですが、例えば、イランの核施設を単独でも攻撃する余地はあるのだと言わんばかりの動きを若干ちらつかせ始めています。

木村>  それは過去にはシリアに対して、公式には認められはいないけれども、事実そのような事があったのではないかと……。

寺島>  イラクにもありました。それでここのところにきて国際的なメディアの世界に4,400キロの航続距離を持っているような戦闘機や爆撃機等を開発しているという情報を殊更にリークしてきています。つまり、イランまでの距離が約1,500キロで往復して帰って来られますよという事を暗にアピールしているようなものです。非常に微妙な情勢、つまり、一見オバマの核なき世界は理想主義的な事を語っているように見えるけれどもこれを本気で実行するならばいままでアメリカが封印してきたイスラエルの核をどのように制御するのか、つまり、筋道一貫したものでないと世界はついて来ないという状況になってきているわけです。
 オバマ政権は政権の内部が「チーム・オブ・ライバルズ」=ライバルによって成り立っている政権で、例えば自分の政敵だったヒラリー・クリントンでさえ国務長官にとり込んでいます。これは寛大で自分とは意見を異にする人たちも包み込んでいく様な偉大な指導力がもしもあれば、大変素晴らしいフォーメーションになるのですが、ガバナンスを失ったり、下手に間違えるとバラバラになりかねない状況になっています。中東でアメリカがこれから大いに踏み込んでリーダーシップを確立していく上で、内にそのようなチーム・オブ・ライバルズという構図を抱えながら世界に対しては筋を通していかなければならず、非常に難しい局面にあります。
そのような中で、日本は、だからこそ大変に重要な役割を期待もされ、果たさざるを得ないところにきているという話を私は後ほど申し上げたいと思います。

木村>  日本の果たすべき、或いは、立つべき場所というものについて後半でお話を伺います。

<後半>

木村>  前半のお話でアメリカの政権がある意味では非常に緊張をはらんだところにいま立っているという事が寺島さんのお話でわかりました。そこで日本がどのようなところに自らの位置を定めるべきか、中東に対してどのような立場をとるべきなのかという事ですね。

<中東の新しい局面~日本の役割~>


寺島>  中東協力会議において大きな話題になっていた点で、日本外交はアメリカだけについて行っているとよく言われていますが、中東政策に関してだけは特異なポジションにあるのです。
8月5日にイランでアハマド・ネジャド大統領の就任式があったのですが、御存知のように大統領選挙の不正という問題もあって、お祝いどころかアメリカとかヨーロッパの国々はこの政権の正当性さえも認めていないという状況にあるわけです。しかし、先進国の中で日本だけはイランに対して祝意を表していて、欧米からすると「日本は何をやっているのだ」という不思議な印象を与えています。これはある面では日本の中東における特異性と言えます。アメリカは1979年のイラン革命=ホメイニ革命以来、イランと断交を続けているけれども日本は大使も交換する等して継続的にイランと現在もつき合っているという不思議なポジションにあります。
 そこで、日本とイランとの関係は、今後アメリカや西側の国がイランと向き合う時に大変に重要なブリッジになります。しかも、中東産油国にとっても日本は中東に石油を依存しているという言い方もありますが、中東の石油を安定的に買い続けている存在でもあるわけです。
 先程話題にしたイスラエルの問題について、欧米の国々はイスラエルに様々な意味で宿命的な弱みを背負っているという背景があって、欧州もイスラエルにEUの準加盟国待遇を与えているのです。それは何故かと言うと、いまだに第二次大戦の時にナチが600万人のユダヤ人を虐殺した話を引きずって贖罪意識があり、特別なポジションを認めざるを得ないという事です。
アメリカでは人口のわずか3%にしか過ぎないユダヤ人ですが、政治的には大変な影響力をもっているので、その政策に常にイスラエルとかユダヤ等に対して配慮せざるを得ない立場にあり、パレスチナ問題、イスラエル・パレスチナ紛争に対して中立的ではいられないわけです。しかし、日本は、その問題に対してどちらかに加担しなければならない様な歴史的必然性を一切もっていない特異な国です。しかも、中東のいかなる地域にも武器を輸出した事もなければ、中東のいかなる軍事紛争にも介入した事がない国で、これは中東の人たちにとってみると大変に重いメッセージなのです。
いままでは中東と日本の関係は「石油モノカルチャー」、つまり、エネルギーの関係だけで成り立っていたと言ってもいいくらいでした。いま日本のエネルギー、石油の9割を中東に依存していますが、今後、ロシアとの関係が非常に重くなってきて、5年以内にロシアとのサハリンのプロジェクトやシベリア・パイプライン等のプロジェクトが動いてきたならば、日本の中東に対する石油の依存度は9割から6割台に落ちます。
そのような流れの中で益々中東との関係が希薄になるのではないかと思いがちな人もいると思いますが、むしろ多様化してきていて、化石燃料=石油等があるうちに原子力や再生可能エネルギーや太陽光発電等の技術を取り込んでおこうという強い関心を中東が示し始めています。日本と中東の間のプロジェクトとして、そのような分野の協力が今後始まって行くと思います。そして、同盟国であるアメリカが中東においてある種のガバナンスをきかせていかなければならない時に、日本の協力や日本の発言が凄く重くなってくるのです。
国際的な核の管理という時に必ず登場してくるウィーンにあるIAEA=国際原子力機関のトップに天野之弥さんという日本人が正式に承認されました。そのような事もあって、私は、原子力の平和利用や核の国際的な管理等について日本が大きな役割を担い始めているという自覚と共に、中東問題をそのような新しいアングルから考える必要があるという事を申し上げておきたいのです。

木村>  イラク戦争でアメリカと歩調を一にした時から、寺島さんはこの問題を極めて厳しくきっぱりと批判をしてこられました。その寺島さんの発言だけに我々の中東への眼差しがどのようにあるべきか、我々がとても重く聞くお話だったと思います。

第35回目

<ハンガリーという国に思う~原爆との因縁~>

木村>  前回の放送は「中東の新しい局面~ウィーン中東会議で講演して~」というテーマでした。中東への日本の眼差し、日本の立つ位置がどのようなところにあるべきなのかという事に触発されましたが、アメリカのオバマ政権がいま中東の問題をめぐって、或いはイスラエルをめぐっていかに緊張した状態にあるのかという事でも寺島さんのお話の中で随分発見がありました。
 寺島さんは中東協力現地会議が行なわれたウィーンからハンガリーのブダペストに行かれたという事で今週のテーマは「ハンガリーという国に思う~原爆との因縁~」です。

寺島>  ウィーンから列車で3時間くらい東に向かったところにハンガリーの首都ブダペストがあります。
司馬遼太郎さんが亡くなる前に、最後に行きたいと言ったところがハンガリーでした。彼はモンゴル語を学んだ人だったのですが(註.1)、ハンガリー人には赤ちゃんのお尻に蒙古班が出るという事で、それが言わばモンゴロイドが一番西に踏み込んでいった境界線のようなイメージをもっておられたのだと思います。
 今回あらためてハンガリーに行った理由を簡単に言うと、ヘッジファンドの帝王と言われた有名な投機家のジョージ・ソロスと関連があります。彼はハンガリーで生まれたのユダヤ人で、ナチの迫害を逃れてアメリカに渡って世界一の金持ちと言われるところまでのし上がっていったのですが、彼はハンガリーのセントラル・ヨーロッパ・ユニバーシティに個人のお金を寄付して、かつて東側と呼ばれた東ヨーロッパの市場経済界に対して大きく貢献するために踏み込んでいたのです。そのような事がきっかけでもあってブダペストに行く事となったのです。調べてみると東ヨーロッパにおける民族の隆替や移動等が物凄く複雑な歴史を形成していて、ハンガリーという国を非常に特色づけています。それが最後のところでお話しする「日本とも宿命的な因縁を背負っている」という伏線となりいます。
 我々がヨーロッパとの歴史を考える時に、意外なほど重要なのが「川」です。
北欧のヴァイキングが黒海の辺りまで川をつたって南下をしました。ヴァイキングと言うと、ノルウェイやスウェーデン等のイメージがあると思いますが、実はバルト海と黒海とは川の流れによって繋がっていて、冬場は凍結しているので3、4人乗りのカヌーの様な船を使って激しい移動をしていたという事が歴史的にあったそうです。分かり易く言うと、黒海とバルト海は繋がっているし、黒海とフランスとイギリスの間の海までは繋がっていると考える事が正しいのです。ヨーロッパを繋いでいる川の流れについては語るときりがない程複雑です。
 ヴァイキングが南に押し出してくる事によって、いまのイメージで言うロシアの南の部分にマジャール人という騎馬民族の一群が押し出されてそれがハンガリーにやって来たのが898年で極めて正確に記録が残っています。つまり、9世紀の終り頃に騎馬民族のマジャール人がハンガリーに入って来たという事です。そこから1241年から1242年にかけてモンゴルの蒙古が一大勢力となってユーラシア大陸を席巻していた頃、西はハンガリーからウィーンのところまで迫っていて、ハンガリーの王だったベーラ4世がブタペストを捨てて逃げなければならないという事まで起こっていました。一方、東では日本に蒙古が押し寄せて来たのは御存知の通り1274年(元寇・文永の役)なのでそれから30年くらい後なわけですが、西と東に大きく蒙古が張り出していた時代にハンガリーは蒙古=モンゴルの大きな影響を受けるのです。
 その後、1526年オスマン=トルコがやって来て、イスラムの支配の下にあったという時代がありました。そして、1697年からは隣のオーストリアのウィーンを中核にしたハプスブルグ家の支配の下に置かれて、1867年、19世紀の後半からはオーストリア=ハンガリーの二重帝国の時代がありました。
 このようにざっとお話をしてきましたが、ヴァイキングが動き、マジャール人が南下し、モンゴルの影響を受け、トルコの影響を受け、はたまたハプスブルグの影響を受ける等、要するにユーラシア大陸はこのようにして物凄い民族の隆替の中で形成されていたという事がわかります。
 第一次大戦の時にハンガリー=オーストリアの二重帝国が解体させられて、歴史的な意味においてハンガリーは終わったと言われているのは1920年です。面積を3分の1くらいまでにされて、ナチと連携して動いていた時代があり、第二次大戦が終わると今度はソ連の支配の中に、東側と言われている陣営の中に取り込まれていたという歴史がありました。
 そのような流れの中で、ハンガリーの人たちは忍耐に次ぐ忍耐、その中での反抗に次ぐ反抗と言いますか、ソ連統治の中で1956年のハンガリー事件(ハンガリー革命)等がありました。要するに、このような反抗の中で多民族の抑圧を受けながら生き延びる術を持ち、ハンガリー人であるという人の3分の1以上が海外に亡命して住んでいると言われているくらいで、海外に大きく展開していかざるを得なかったわけです。
ここからが本日の話の趣旨となるのですが、「どこを見てもハンガリー人だ」という言い方があるのですが、びっくりするくらいハンガリー人が海外に展開しているわけです。欧米でもハンガリー人が多くて、例えば、私自身も大変に影響を受けた社会学者のカール・マンハイム(註.2)という人がいますが、この人もハンガリー人です。そして、ジョージ・ルカーチ(註.3)というマルクス主義の哲学者もハンガリー人なのです。音楽家で言うとバルトーク・ベーラです。一番驚くのはアメリカのジャーナリズムの賞でピューリッツアー賞がありますが、このジョーゼフ・ピューリッツアーという人もハンガリーから亡命してアメリカで成功したジャーナリストです。先程、話題に出したジョージ・ソロスもハンガリー人です。このように海外で活躍している色々な人たちがハンガリー人だという事をまず、頭におかなければなりません。

木村>  ともに多彩ですね。

寺島>  そして極めて優秀です。そこで問題は、アメリカにおける原爆の開発と広島、長崎の話に繋がっていきます。
「ハンガリー・マフィア」という言葉があるのですが、ドイツに亡命したり勉強に行って核等を研究していた原子物理学者たちはハンガリー系のユダヤ人が多かったのです。それらの人たちがナチに虐待されるという事を拒否して、アメリカに亡命しました。その中心にいた男が有名なレオ・シラード(註.4)でした。これがコロンビア大学の実験室で友達から借りた2,000ドルのお金を梃に、ドイツが原子力爆弾の開発をしている、つまりヒットラーが開発をしているという事に危機感を感じて自分の研究室で核の基本的な実験をやり始めて、ある程度見通しを立てたのが1939年3月だったと言われています。ユージン・ウィグナー(註.5)というプリンストン大学出身で1963年にノーベル賞を受賞したのもハンガリー・マフィアの一翼をしめる原子物理学者だったのです。水爆の父と呼ばれていたエドワード・テラー(註.6)という有名な人もいますが、この3人組がロングアイランドにあるあの有名なアインシュタインの家に働きかけに行って、「アメリカも原子力爆弾を開発しないとヒットラーにやられてしまう」とフランクリン・ルーズンベルトに提言してもらい、国防省から6,000ドルの予算をとって、1942年12月に初めて実験に成功しました。それがニューメキシコのロスアラモスに持ち込まれて実際の原子力爆弾をつくり上げるというプロセスに入っていったわけです(註.7)。
 つまり、整理して申し上げると、ハンガリーからアメリカに亡命した3人組がナチス・ドイツに対する拒否反応から力を合わせて開発のきっかけをつくったのがアメリカの原爆だったという事です。その原爆が広島、長崎の上に落とされました。
ハンガリーは日本にとって何の関係もない国だと思いがちですが、実は全くそうではなくて、ハンガリーの背負っていた歴史、つまり、民族の隆替の中で常に抑圧される側の中にいて、故郷を捨てて海外に展開しなければならなくなった人たちがたどついたアメリカにおいて先程の3人組の人たちがつくった原子力爆弾なるものが日本に襲いかかってきたといわけです。歴史の因果と言いますか、歴史の相関性、連鎖性という事です。誰が悪いとかそういう話ではなくて、歴史のなんともつかない因果性を感じながら私は今回ハンガリーを後にしました。
こ歴史を考えた時に、この種の相関性をたどりながらイマジネーションを働かせていく事が歴史をたどる妙味であると同時に、我々を非常に刺激して、そのような中で我々自身が生きているのだという事を感ずるのだと思います。
ハンガリー=オーストリアの二重帝国の時代に初めて日本はこの国との外交関係をつくり上げたのですが(註.8)、非常に不思議な因縁を背負っているという事を少し話題にしておきたかったのです。

木村>  歴史に「もしも」とか「こうであったら」という様な事はないのですが、このように考えてみると歴史の中でハンガリーに住む人たちがどんなに苦難の時代を過ごしたり、翻弄されたりという事がなければという事から考えていくと、さて、原爆はあったのか? という話になり、いまあらためて我々が地球上の国と国との関係やここに戦乱を起こしてはならないというところに実は問題意識として発展していくという事でもあるのですね。

寺島>  イマジネーションなのです。日本人はなんだかんだ言いながら、天然の自然条件によって守られてきた島国としての部分があって、なかなか民族や歴史の相関性等に対して目が向かないのです。私はハンガリーからロンドンに出て、ロンドンで宿泊したホテルでハンガリーの王宮で手に入れたハンガリーの国旗に少し手が加わったデザインのバッチを帽子につけていたら、ホテルのドアのところに立っていた山高帽を被った男性に呼びとめられて、「あなたはハンガリーのバッチをしているが、何故だ?」と聞かれたのです。その人は「自分はハンガリー人だ」と言って、私はこんなところにもハンガリー人がいるとのかとびっくりしました。彼らはバッチ一つを見てもビビッとくるものがあるのでしょう。

木村>  なるほど。これは地球規模で我々がどれほど歴史に対するイマジネーションを持つことが出来るのかという事においてもとても触発されるお話でした。我々はハンガリーと言うと場所もなかなか地図上で指し示せなかったりします。或いは、ハンガリー狂詩曲やハンガリー舞曲等というところでとどまっていましたが、あらためて歴史の深さを感じる事が出来ました。

<後半>

木村>  後半はリスナーの方からのメールを御紹介して寺島さんにお話を伺います。ラジオネーム「なかや工務店」の50歳台の方からです。
 「この間の総選挙で民主党が圧勝していわゆる55年体制が初めて実質的に崩壊しました。これによって日本はどのような変革をする事ができるのでしょうか? 来年は60年安保改定から50周年を迎えます。その事も踏まえて日本は今後、国際社会においてどのようなポジションを目指すのか、目指すべきなのか寺島さんの御意見を是非お伺いしたいと思っています」というメールです。

寺島>  今回の選択によって日本人が腹を括らなければならない事は、本当の意味で日本の戦後を見つめ直して戦後に積み残してきたり、ごまかしたりしたものに対して、戦後生まれの日本人があらためてしっかりとしたけじめをつけなければならないと言いますか、方向性を持たさなければならないという事だと思います。これはどういう意味かと言うと、日本の人口の8割以上が戦後生まれになって、概ね民主党の中核は戦後生まれ世代が占めてきているという事です。そこで、戦後なるものの日本が引きずった冷戦型の世界観からどれだけ脱却出来るのかというところが本当に問われているのだと思います。我々は戦後という日本に生きてきて、しかも、歴史的にみて日本の歴史の中でこれだけ平和で安定して幸せな時代を通過してきたわけです。つまり、国家が我々に強制してくるとか、徴兵制があるだとか、「お前はこのように生きろ」等と全体が我々に命じてくるような時代ではなくて、安定して平和な時代を過ごす事が出来たという事です。それらの人間が我々の後に来る世代にどのような日本を託して繋げていくのかという非常に重要なところにきていて、そのためには冷戦型の思考によってつくり上げた日本の防衛安全保障のシステムや日本の経済・産業の仕組み等の全体をしっかりとあるべき方向に向き直させるという事をいま実行しなければいけません。いままで通りでよいという事ではとても生きていけないのです。何故ならば我々を取り巻く環境が冷戦中とは大きく変わっているからです。例えば、中国が大きく力をつけて台頭してきていたり、世界のそれぞれの国が小国とはいえ自己主張をし始めて黙っていなくなったりしているのです。アメリカだけが一極支配で世界を束ねている状況だったのならば、ある面ではアメリカと轡を並べて一緒になって進んでいれば概ねそれほど大きな間違いはないという時代がついこの間まであったかもしれないけれども、世界は冷戦が終わった後20年間で大きく構造が変わってしまったのです。
 そのような中で自分の足元を見つめ直してこの国の生き方を再構築しなければなりません。一言で言うと、「脱冷戦型思考」です。これをどのような形で健全に取り戻していく事が出来るのか考え、考え、考え抜いて思慮深く日本をどのようにつくっていくのかという事が我々に問いかけられているテーマだと思います。
 防衛安全保障の問題については、いま出ている雑誌「文藝春秋」(10月号)に、日本のこれからの防衛安全保障に対する一つの切り口をかなり踏み込んだ形でロングインタビューを受けたものが掲載されています。関心のある方は読んで頂きたいと思います。
同時に、もう一つ問いかけられている事は、「日本の資本主義のありかた」だと思っています。政治だけが変わればよいという事ではなくて、経済界、産業界も大きく突きつけられているものがあると思います。
いま岩波書店から出ている「世界」という雑誌の10月号の「脳力のレッスン」の連載で私が書いているのが、「ビル・ゲーツの『創造的資本主義』」です。私はIT革命のフロント・ランナーだったビル・ゲーツは立派だったと思います。彼はアメリカの金融市場資本主義の行き詰まりに対して強い責任を感じていて、経営者としていったい経営というものはどのようにあるべきか、つまり、創造的資本主義を掲げて市場メカニズムでは解決出来ない格差や貧困等の問題を自分たちはどうすべきなのかという事を真剣に問いかけていて、私は非常に感激しました。日本の経営者の中に、特に次の世代の経営者と言っていいと思いますが、日本の資本主義のありかたはアメリカのウォールストリートの論理によって1990年代以降を走ってきたけれども、それが非常に大きな行き詰まりを見せているいまこそ、どのような経済産業社会をつくっていくべきかという問題意識を共有すべきなのです。まっしぐらに見つめなければならない事は政策の軸だと思います。

(註1、司馬遼太郎は旧制大阪外語大学<現在の大阪大学外語学部>のモンゴル語科を卒業している)
(註2、1893年ハンガリーのブダペストに生まれる。知識社会学の提唱者として知られ、著書に「イデオロギーとユートピア」等がある)
(註3、1885年ハンガリーのブダペストに生まれる。哲学者。著書に「歴史と階級意識」等がある)
(註4、1898年ハンガリーのブダペストに生まれる。ユダヤ系アメリカ人物理学者)
(註5、1902年ハンガリーのブダペストに生まれる。ユダヤ系物理学者)
(註6、1908年ハンガリーのブダペストに生まれる。ドイツのライプツィヒ大学等を経て、アメリカに亡命したユダヤ系物理学者)
(註7、ロバート・オッペンハイマーがリーダーとなって開始されたマンハッタン計画)
(註8、1869年日墺修好通商航海条約締結)