2008年10月 アーカイブ

2008年10月19日

第7回目

木村>  寺島さん、今朝のテーマはなんでしょうか?

寺島>  やはり世界金融不安というかアメリカのサブプライム問題を基点として、いま世界経済が完全に凍りついて来ているのではないかという状況です。これに対する理解を深めたいと思います。

木村>  そこでリスナーの方から「75兆円に上るブッシュの緊急経済安定化法案が承認されました。しかし、株価は下落しています。75兆円の公的資金を投入したとして果たして世界的な金融不安はおさまるのでしょうか?」という声も届いています。いま考えるべきはこれがおさまるかどうかよりも、もう少し何か考えることがあるのではないか?という思いがしてならないのですがいかがでしょうか?

<歴史をふりかえる>

寺島>  私はまず、昔こういうことがありましたという歴史認識から確認していきたいと思います。1929年に大恐慌の時代に世界は入っていくわけです。

木村>  暗黒の木曜日ですね。(註.1)

寺島>  そうですね。79年前の10月24日のことでした。1933年までの間にいわゆる資本主義国の工業生産が44%落ちました。更には世界貿易が66%減少したという途方もない大恐慌の時代を世界は経験しています。(註.2)

木村>  世界の経済全体が収縮してしまったのですね。

寺島>  はい。あの時を思い出させるような恐慌が迫っているのではないのか、という見方が一つあるわけです。しかも経済的な恐慌という話だけではなくて、政治不安のような空気も漂って来ています。1929年というとドイツにナチス台頭といいますか、ニュールンベルグでヒットラーの率いるナチスが60万人を集めて全国大会をした年でもあって、ドイツにナチスが台頭する年でもあったわけです。その後、世界は「ファシズムの台頭」という時期を迎えたのですが、いままた世界経済は冷戦が終わった後にグローバリズムだとか新自由主義だとかいって改革開放とか市場化ということで一生懸命に旗を振ってきましたが、その行き詰まりというか、裏切られた気持ちというものが大きくなっています。混迷の中で必ず首をもたげてくるのは、「笑顔のファシズム」とあえて言っておきますが、混迷の中で国民が苛立って、もっと指導力はないのかとか統合力はないのかと言って政治不安みたいなものが沸き起こってくると、国民の苛立ちが力強い指導力とか力強い指導者を待望する方向へ向かうわけです。

木村>  たしかファシズムという言葉そのものが「何かを一つにまとめる」という意味の言葉ですね。

寺島>  そうです。苛立って来てバラバラだとかこの国は腐っている、という気持ちになって来ると「笑顔のファシズム」という誘惑がスッと頭をもたげてくるのです。そこで我々は1929年当時の状況というものをよく教訓にしながら いま進行しつつあることを少し整理してみましょうということなのです。

(註1、1992年10月24日木曜日、ニューヨーク株式市場でゼネラルモーターズの株価が80%下落した事により世界恐慌がはじまった日。この日だけで11人の投資家が飛び降り自殺をした)

(註2、1914年から1918年の第一次世界大戦後=1920年代のアメリカは、戦後のヨーロッパへの輸出を中心として、重工業への投資、モータリゼーションの始動による自動車工業の躍進、国内消費の拡大等によって経済的好況にあった。
  1920年代の前半頃から農産物を中心に余剰が起こっていたが、ヨーロッパへの輸出にふり向けられていた事で問題はなかったのだが、農業の機械化による過剰生産やヨーロッパの復興、ソビエトの世界市場からの離脱等の事情によって、アメリカでは次第に農産品だけでなく、工業製品等も過剰生産になっていった。1924頃から投機熱が高まり好況でだぶついた資金が株式市場に流入し5年間でダウ平均は5倍に高騰した。1929年9月3日にはダウ平均株価が381ドル17セントという最高価格をつけたが、この頃から市場は調整局面を迎えて株価は乱高下する状況となった。そのような背景の中で1929年10月24日ゼネラルモーターズの株価の大暴落が起こり、世界は大恐慌へと向かうことになった)

<サブプライム問題と米国の財政赤字>

寺島>  そこでいま我々が目撃していることはなんなのか? ということですがアメリカの上下両院が、リスナーのかたの質問にもあったように、公的資金を使っても金融機関が持っている不良債権を買い上げるという法案を可決したということで、世界は一安心というかホッとしているような空気もあるわけです。

木村>  一度は否決されてそしてすぐ上院で可決して、ニューヨークの株が777ドルも一挙に落ちて大変だということでしたね。(註.3)
寺島>  はい。それを世界金融不安の震源地であるアメリカが責任を感じて不良債権の公的資金による買い上げという仕組みを通過させたわけですが、「本当に大丈夫なのか?」という話なのです。
私企業の活動に公的機関が介入しないことを「アメリカ流資本主義」の一つの特色としている国なのに、結果的にはやはり公的資金で問題解決をしなければしようがないところに追い込まれてしまった。
整理してみると、今回の7000億ドルと住宅系の公社2社を救済するために既にコミットしている2000億ドルとAIGという保険会社につなぎ融資的に国が公的資金を入れる額が850億ドル。ここまでだけでほぼ1兆ドルです。財政に負担をかけてくるコミットメントです。しかも上院で可決される際に、国民の理解を得るために国民に対して1100億ドル減税という案を埋め込んでしまったのです。ですからもうアメリカは1兆ドルを越す財政負担を余儀なくされている法案を経済安定のために通過させたということです。
一方、イラク戦争での戦費がいま1兆ドルに迫って来ています。この数字は分かり易いので申し上げるのですが、サブプライム問題での財政負担でコミットしたのが1兆ドル、イラク戦争の戦費が積もりに積もって1兆ドルです。

寺島>  しかし、それで済むかというとそれはとんでもない話で、この番組でも話題にしたことがありましたが最近では「3兆ドルの戦争」と言います。イラク戦争は3兆ドルのコスト負担を余儀なくされるのではないかと予測で言っているのです。ということは3兆ドルは別にして、少なくとも2兆ドル=200兆円を越すお金を「イラク」と「サブプライム」のために財政が負担するという方向にいまアメリカが向かっているというわけです。200兆円ということは日本の年間国家予算の半分に相当する額です。あえて後ろ向きと言っておきますが、後ろ向きのことで財政が負担せざるを得ないということになります。

木村>  その日本の国家予算は特別会計とか色々なものを全部含めた額ですか?

寺島>  全くその通りです。そういうなかで間違いなく言えることは、アメリカの財政負担は物凄いことになって財政赤字が一段と深刻化するだろうなあということは容易に想像がつきます。アメリカの2007年の財政赤字は1615億ドルだったと言われています。今年の1月から7月までの数字が発表されていますが、既に2645億ドルの赤字になっています。これに後半にかかって来る、いまコミットした数字が出てきますから多分今年はどんなに少なく見積もっても5千億ドル以上の財政赤字です。(註.4)

寺島>  来年はやがてそれが1兆ドルを越すような財政赤字になっていくであろうと簡単に想像がつくわけです。その財政赤字ですが世に言う「双子の赤字」というものです。財政赤字と経常収支の赤字がアメリカの双子の赤字だと言われ、よく議論されて来ました。

木村>  貿易と国内の財政、二つの赤字ですね。

寺島>  そうですね。その経常収支の赤字もどんどん垂れ流しながらアメリカという国が今日まで繁栄を謳歌して来られた理由は、産業の実力以上の軍事力と産業の実力以上の消費社会を実現して、産業の実力以上にお金が外からアメリカに流れ込むという仕組みによって支えられていたからです。
人で例えるならば、下血がどんどん続いているような状態を輸血によって持ちこたえているという構造になっていたのがアメリカだと考えると分かり易いと思います。

木村>  出血するけれど、それ以上に輸血してどんどん血を補っていたと……。

寺島>  そうですね。何故アメリカにだけお金が回るのかということは、金融の世界で長い間議論している人間にとっても大変な疑問符が打たれていたポイントなのです。

木村>  何故ですか?

寺島>  それはアメリカの金利が相対的に高いからです。例えば日本にお金を置いておくよりもアメリカにお金を持っていったほうが金利の差を享受できるということなのです。事実、去年の秋まではアメリカの政策金利は5%台だったのですが、景気対策で政策金利を落としてきて、いま2%前後です。日本は0.5%ですから金利差が大分縮まって来たけれども、まだアメリカよりも日本のほうが低いという状況です。その金利差でアメリカに、アメリカに、とお金が向かっていたのですが金利の差が縮まってきているので最近は、為替のリスクを考えたのであれば必ずしもアメリカにお金を持っていったほうが有利だとも思えないという状況になって来ています。まず金利差を求めての動きにブレーキがかかり始めたのです。更に「アメリカの金融市場の多様性の魅力」といことを金融関係の人はよく言います。それはどういう事かと言うと、お金を日本に置いておくよりも有利に運用できる方法があります。選択肢がたくさんあるということです。実はその選択肢の一つにサブプライム・ローンが入ったような証券化商品があったわけですから腰が引けてしまったというか、凍りついてしまったというか、さすがに「アメリカの金融商品は信用できない」ということになって来て、ここのところのアメリカに対するお金の動きを見ると経常収支の赤字を遥かに上回る資本収支の黒字がアメリカを支えていたのが、資本収支の黒字が経常収支の赤字を上回らなくなって来ています。分かり易く言うと輸血の量のほうが下血量よりも減ってきてしまったということです。

(註3、9月29日、ブッシュ大統領の『緊急経済安定化法案』が下院で否決されたことによってニューヨーク株式市場では、ダウ平均株価の終値が777.68ドル安となった。その後、10月9日のニューヨーク株式市場では、ダウ平均678.91ドル安と900ドルを大幅に割り込み2003年5月以来、5年5ヶ月ぶりの安値で取引を終了。更に、10月13日にはダウ平均株価は、前週末終値比936.42ドル高という過去最高の上げ幅を記録して取引終了。更に、10月15日には、ダウ平均が733ドル暴落するなど株価の乱高下の状況を呈している)
(註、4 米政府発表によると、2007年10月から2008年9月までのアメリカの財政赤字は、過去最大の4550億ドルか=45兆9550億円となっている)

<無極化へのターニングポイント>

寺島>  そこで、今年は大変大きなターニングポイントになっていくだろうなあ、と私たちは見ています。それは何を意味しているかというと、財政も思いがけないほどの大きな負担を強いられて国民の税金にのしかかかるということです。外から引っ張って来ることが出来ていたお金も思うようにアメリカに集まって来ないという構造の大きな変化が起こり始めています。現在、我々が生きている時代で進行している事というのは、アメリカの求心力が急速に低下して来ているという事実が如実になって来ている状況です。それは多分、冷戦が終わって1991年にソ連が崩壊して東側に対して西側が勝ちました。西側の中心にいたアメリカ、東西冷戦の西側のチャンピオンだったアメリカが勝利しました。それによって、「アメリカのひとり勝ち」とか「一極支配」とか「ドルの一極支配」と言われて来ましたが、ここに至って、構図がガラッと変わって来て、以前番組でも申し上げましたが、一極支配どころではなくて多極化を通り越して無極化、「極なんてないのだ」というくらいに混沌とした状態に世界が向かっているということを我々はいま見せつけられています。このことに気づかなければいけないのです。
したがって、ただ単に世界の金融恐慌が来るかどうかということよりも曲がりなりにも世界のリーダー国として冷戦後の世界を束ねていたアメリカが一気にある種の求心力を失い、束ねていく力を失った事によって、世界がいわゆる「括弧つきの冷戦後の世界」という時代から大きく局面展開して、新しくどういう方向に向かうのかという局面にあることを認識しないといけません。要するに唯一の超大国なるものが消え去って、新しい時代の秩序をめぐって全員がガヤガヤと自己主張し始めているような空気の真っ只中に今世界はあるというか、つまり時代はそのような大きな構造転換期にさしかかっているということを我々はよく認識しなければいけないのです。
そして問題はそういう時代の大きな構造変化を日本の政、財、官を含めての指導的立場の人間、つまり分かり易く言うと日本の戦略シナリオを書いていかなければいけない立場の人間が、どこまで理解して、どこまで大きく問題意識の中に埋め込んで、その世界観のもとに日本の舵取りをしているか、ということが我々にとってはより重要です。
かつて1929年の世界恐慌のときも日本は明らかに道を間違えているのです。そして苛立ちのなかで例えばヒットラーやムッソリーニを称えて、日独軍事同盟とか日独伊の三国軍事同盟とかの大きな流れが出て来きました。つまり、たえず苛立ちのなかで選択が行われていくのです。この誘惑をよく考えていないと物凄く危ういことになりかねません。

木村>  たしかあの時代、「寡(すく)なきを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患(うれ)え」という言葉が論語にもあるのですが、それが逆に「等しからざるを憂えずして少なきを憂う」ということになってしまった、つまり「皆ができるだけ分かち合うのではなく、日本の国は資源も少ないし経済的にも貧しいのだから他国へ出て行こう」というような論理がパッとそのなかに入ってしまっていると……。

寺島>  そうですね。持てる国と持たざる国とかそういうことから世界観が急速に舵をきられてくるような可能性が大いにあるわけです。特に民主主義的なシステムは誰かが独裁してスパッと切り裂いていくようなものではないから、色々な意味でもたつくのです。時間もかかるし調整のコストもかかります。そういうことに苛立たずに時代をしっかり見据えていないと、つい、力の論理で現状を打破していこうということに誘惑を感じてしまうのです。その教訓をここでもう一度踏みこたえていないと金融恐慌は金融だけの話では終りません、ということをよく考えなければいけないのではないでしょうか。

木村>  まさしく最初に聞いたメール、「世界的な金融不安はおさまるのでしょうか?」というリスナーのかたの声ですね。つまり、勿論おさまるということも大事なのだけれどもいま考えなければいけないことはそういう歴史に根ざした「我々は一体何を体験して来たのか」ということをきちんともう一度思い出すことができる力、そこから「しっかりいまの世界がどう変わりつつあるのか」ということを見ることができる力、ということが問われていると……。

寺島>  そうですね。ポジティブなことをあえて一つ言っておくと、1929年といまの違いなのですが、1929年は資本主義といっても統計のカテゴリーに入ってくる国はアメリカと欧州と日本くらいなものだったのです。しかしいまは「BRICS」などと言われて、世界の裾野が非常に大きく広がっています。それからもう一つは、「国際協調連携なくしては、どんな国も孤立して生きてはいけない」ということを我々は学んでいると言えるのです。その一番分かりやすい例は北京オリンピックの開会式の日にグルジア問題がどーんと出て来て、ロシアがコーカサスの南に南進していったと……。ロシアは力の論理でアメリカがまさにイラクでやろうとしていたようなことをコーカサスでやるのか、と思うくらいにドキっとしました。そしてひょっとしたら「新冷戦の時代」という言葉までが登場して来て、またアメリカとロシアが頭の角を突き合わせて東西に割れてくるような時代が来るのかと思いました。しかしその後の経緯を見ていると、ロシアから西側の資本の400億ドル~500億ドルが1カ月半くらいの間に流れ出てしまいました。分かり易く言うとみんな凍りついて、「こういうちょっと危うい国に資本を投下しておくのは如何なものか?」と去ってしまうわけです。そうするとルーブルが下落して世界の中でロシアが生きていくのにはとても大変だというになり、またある種の協調路線のような形で妥協し始めています。それはロシアも中国も、勿論アメリカも世界のなかから孤立した政策は結局「自分の首を絞める」という、これが本当の意味でのグルーバル化の時代なのです。つまり私が言う「全員参加型秩序」「無極化の時代」というものが益々、木村さんが先程おっしゃった「分かち合い」という言葉、協調し分かち合って連携していかなければいけないのだということをこういうプロセスのなかからも学んでいるのかもしれないのです。

木村>  はい。それだけに日本は寺島さんがおっしゃるように「変わる世界」ということをしっかり認識して、その上で進路を組み立てていく力が問われる時代だということですね。

寺島>  まったくその通りです。

木村>  是非、それを日本の私たちは持ちたいと思います。そのために私たちは寺島さんのお話を伺っているのだと思います。

2008年10月26日

2008年11月のスケジュール

■2008/11/02(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2008/11/05(水)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」

■2008/11/15(土)22:10~
NHK・BS1「地球特派員2008」

■2008/11/16(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

■2008/11/22(土)08:00~
読売テレビ系列「ウェークアップ!ぷらす」

■2008/11/23(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」
 
■2008/11/24(月)09:00~
NHK・BShi「地球特派員2008」
※11/15番組の再放送

■2008/11/28(金)06:40頃~
NHKラジオ第一「ラジオあさいちばん」
※うち、『ビジネス展望』コーナー
 
■2008/11/28(金)21:54~
テレビ朝日系列「報道ステーション」
 
■2008/11/29(土)05:00~
(首都圏以外)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2008/11/30(日)07:30~
(首都圏のみ)FM「月刊寺島実郎の世界」

■2008/11/30(日)08:00~
TBS系列「サンデーモーニング」

第8回目

木村>  寺島さん、今朝のテーマは何でしょうか?

寺島>  まず、国際連帯税のことについて触れておきたいのです。これは洞爺湖サミットに向けての首相を取り巻く温暖化の懇談会において、私が大変こだわった論点で日本は「国際連帯税構想」に参加していくべきだという趣旨のことをこの番組でお話したことがあります。この問題をもう一度きちんと最近の状況等を含めて大きな前進があったのでお話ししたいと思います。

木村>  最近の状況というと、何か近いところで動きがあったのですか?

寺島>  はい。そうなのです。9月29日に「国際連帯税を促進する議員連盟」(註.1)の国会議員約50人位が参加して、参議院の議員会館で一種の研究会を行いました。その会合には私も講演者として出席したのですが、そこで報告があります。私自身も前向きに喜んでいるのですが、9月26日には日本が国際連帯税を促進するリーディグ・グループという54カ国の国際連帯税導入のために旗を振っている国に正式参加することを表明して一歩踏み込んだのです。これは大変大きなことなのです。

(註1、2月28日、『国際連帯税創設を求める議員連盟』設立される)

<国際連帯税>

寺島>  「そもそも国際連帯税とは何だ?」という話なのですが……。
いま世界が直面している二つの問題をちょっとイメージしてもらいたいのです。一つは、明らかにいま我々が首を傾げながら苦しんでいるのは世界のマネーゲーム化です。要するに実態経済から乖離した、お金がお金を生むような経済構造、サブプライム問題そのものがまさにそうなのですが、つまり、欲と道連れの金融資本主義が物凄く歪んだ形で肥大化していって、食糧価格とかエネルギー価格の高騰をもたらしています。いわば過剰流動性を引用しているようなマネーゲームの人たちが、どこにお金を持ち込むのかによってあるときは食糧価格が高騰したり、あるときはエネルギー価格が高騰したりするのです。アメリカの住宅市場にはお金が向かわなくなったため、その分エネルギーや食糧といった先物取り引き市場に投機マネーが流れて、価格を高騰させたということは明らかなのです。例えばそういうお金を運用しているファンドの人たち全てとは言いませんが、多くの場合に本社を「タックス・ヘイブン」=「税金のかからない地域」に置いて、世界の出来事とか問題に対して「責任を共有していく」という視点ではなくて、「自分だけの目的のためにそのお金を活用していこう」という流れのなかに世界経済があると言っても決して誇張ではないのです。そういう人たちをどう制御するのか? マネーゲームをどう制御するのか? という議論もあります。それはまるで液体を紐で縛るような議論で、「そんなものは難しいでしょう」という話であまり関心が持たれてこなかったのですが、例えば世の中には「トービン・タックス」という議論がありました。

木村>  たしか1970年代でしたね。

寺島>  トービンという人はハーバード大学やイエール大学で教壇に立っていた経済学者ですが、1972年にこのジェームズ・トービンが、投機目的の短期的な取り引きを抑制するために提唱した税制度で、それを「トービン・タックス」=「国際連帯税」といいます。現在世界の為替取り引きは年間450兆ドルあると言われています。その取り引きに0.005%程度、本当に薄く課税したとしても、年間250億ドル以上の財源を国際社会で確保できます。それを国際機関が、例えば環境の技術を発展途上国に移転するためのコストにするとか、地球環境問題のなかでも北極とか南極とか何処の国が責任を持って問題解決に対応していいのか見えない地域に対する環境対策のコストの財源にしたりします。要するに環境問題は国境を越えた問題です。ところが、環境問題に対する対策を議論すると、国境を越えた問題であるはずの環境問題を再び国境の中に取り返して来て、「自分の国よりもあなたの国のほうがより責任を負うべきである」というような国家間のせめぎ合いになります。結局世界が当惑しているのは、先進国が責任を持つのか途上国も一緒に責任を持つのかということも含めて再び国家間の揉め事になっている現状についてです。

木村>  まさに「京都議定書の次を考える」という議論はその対立の場になっていますね。

<環境問題をどう認識するか>

寺島>  本来、環境問題というものには国境線が無いのです。日本海の生態系が問題だという話がもし見えてきたとしたら、それを良好なものに保つために日本だけが歯を食い縛って頑張って京都議定書の目標を達成していけば無事問題は解決しましたという話にはなりません。当然のことながらロシアも北朝鮮も韓国も中国も一緒になって日本海の生態系という問題に向き合わなければならないはずで、「一カ国が責任を大きく担って頑張れば問題は解決する」なんていう話ではないのです。そういうときに、まさに「国境を越えた問題には国境を越えた新しい仕組みが必要だ」という考え方に基づいて登場して来たのが「国際連帯税」なのです。これはフランスとかブラジルが中心になって旗を振っています。世界でも54カ国が「リーディング・カントリーズ」というものを形成して、いままで推進してきていたのです。

寺島>  フランスは非常にユニークで、前倒しに国際連帯税という名前で航空税のような形で徴税します。例えば飛行機でフランスに来たりフランスから去っていく人たちに対して税金をかけているんです。その税金で、例えば途上国の貧困対策とかフランスという国が国の政策意志によって税金を取って途上国対応にそれを使っているということになります。だから国際連帯税とは厳密には少し意味が違うのですが、国際連帯税のファースト・ステップとして「航空税で税金を取って途上国に対応していく財源にしよう」ということをやり始めています。
しかし、フランスが興味深いのは、国会で国際連帯税をもう可決しているということです。ただし、現実問題としては、EUの加盟国全てが国際連帯税に関する法案を可決して全員が轡を揃えたときに発行するという条件になっていますが、複雑な状況ではあるけれども、分かり易く言うと段階的にコンセンサスをつくっていこう、ということです。環境問題は何処かの国が責任を負うべきものではなくて、地球全体の問題ですから国境を越えたグローバルな仕組みのなかで税金を取って国際機関のようなものが活動していける仕組みにしたほうがいいという考え方が次第に台頭してきて54カ国がリーディング・グループを形成するくらいにまでになっていたというのが現状です。

<国際連帯税に向けて日本の取り組み>

寺島>  2月に日本の国会議員の中にもその構想に参加していくべきだと主張する人たちが出て来ました。まず36人が超党派で、この超党派というのが凄く重要なのですが、自民党も民主党も含めて超党派の国会議員が参加して「国際連帯税創設を求める議員連盟」を設立しました。委員長は津島さんという青森出身の税制調査会の会長をやっている自民党の長老格の議員です。このあいだまで防衛大臣をやっていた林芳正さんだとか、民主党の広中和歌子さんだとか仙谷由人さんとか、若い議員も名前を連ねていますが、そういう超党派の議員で推進していこうという人たちが出てきたのです。そして、ついに9月26日、日本国として正式に外務省がリーディング・グループに55番目の加盟国として参加するということを表明しました。(註.2)このことが大変大きな意味があるとだんだん伝わってきていると思います。

木村>  「ついに」と言うのは、それまでに曲折というか、必ずしも「いいね」という話で一直線ではなかったということですね。

寺島>  はい。そして、日本の主張すべき論点を何にするかいうことで、環境省にこの国際連帯税に関する研究会みたいなものも正式にできたのです。これは洞爺湖サミットを越えた日本が、政府主導で国際連帯税の方向に超党派的な流れの中へ踏み込んで来ているということは、日本の進路にとっても凄く意味があります。というのは、まさに全員参加型秩序と呼ばれているような世界秩序が求められている状況のなかで、アメリカやかつての超大国だとかが「右だと言ったら右」という方向に向く時代ではなくて、皆が知恵を出して地球の進路を決めていこうという流れが次第に出て来ているわけです。そういう流れの中で国際連帯税構想は、全員参加型秩序のルールづくりの一つの実験みたいなものです。

(註.2、2003年3月、「革新的開発資金源に関する閣僚会合」<パリ会議>の開催を機に、<1>開発のための革新的開発資金調達メカニズムに関する各種イニシアティブの促進、<2>航空券連帯税の実施、<3>その税収の使途を含む制度構築の推進等を目的として、フランス主導で立ち上げられた、国を参加単位とする協議のための会合。2008年2月末現在、54カ国が参加。我が国による正式参加の意図表明後、事務局による所定の手続きを経て、他の参加国より特段の反対がない限り、我が国の正式参加が認められる見通し。
1.我が国は、2007年以降、「開発資金のための連帯税に関するリーディング・グループ」にオブサーバーとして参加してきたが、9月26日、正式参加の意図を同グループ事務局<フランス大使館>に通知した。
2.正式な参加が認められれば、年2回の総会を含む同グループの全ての関連会合に発言権を有する形で参加することが可能となる)

<新世界秩序の象徴>

寺島>  ここのところを振り返ってみると、それこそアメリカが背を向けているけれども国際社会が一歩づつ踏み込んで行っている大きな流れの話の一つに「ICC構想」という「国際刑事裁判所」の構想があります。(註.3)

木村>  寺島さんはずっと力説なさっていましたね。

寺島>  はい。オランダのハーグにある国際刑事裁判所で国境を越えた組織犯罪、例えばテロや拉致等ですが、そういうものに対して国際刑事訴訟法的な手続きで所管していこうという流れがICCだったわけです。国際司法裁判所とは別に国際刑事裁判所が出来て、日本も去年これに超党派の議員連盟が力を発揮して入っていったわけです。これも大変大きな流れです。つまり、アメリカが参加しようとしないような「自国利害中心主義を固持して、世界のルールで自分を縛るな」という空気のなかで、アメリカが反対したくなるような話を、日本がアメリカを飛び越えてICC構想に参加しました。国際連帯税もまた、アメリカが物凄く渋っている話です。何故ならば金融資本主義が柱の国にとって、金融資本主義の動きに縛りをかけてくるというのはとんでもない話だということで拒否しているのです。私はやがてそれは拒否しきれなくなるだろうなあと思いますが……。そういう流れの中で、世界の大きなうねりのような一つの動向であるこの国際連帯税の構想に日本が踏み込んでいったということは、日本もICCと並べて考えていったら物凄く重要な動きのなかに踏み込み始めていったと言えます。
日本人が本当に気をつけなければいけないことがあります。「自分の国は国連を大事にして国際協調主義を生きている」というふうに私たちは思いたいし、思いがちなのです。
ところが、実態は違います。ついこの間まで私は欧州を動いていて、「なぜ日本は国際刑事裁判所に入らないのですか?」という素朴な疑問をぶつけられました。今回も欧州が震源地になって、環境問題、連帯税構想においても新しい全員参加型の時代のルール作りをリードし始めているわけです。だから私たちが頭を切り替えなければいけないのは、世界の金融不安の中で、アメリカの求心力が急速に衰えている状況で、新しい世界秩序のルールを作る、いわゆるせめぎ合いは、「何処でどういうものが芽生えてきていてどういう動きがあるのか?」ということについてよく考えなければいけないということです。そして我々、戦後という時代を生きてきた人間というのは、アメリカに対する過剰な期待と依存のなかで生きています。アメリカを通じることでしか世界を見ないということが身についてしまっているのです。私はこの固定観念を突き破って行くということが物凄く重要なテーマだと思います。だから「国際連帯税」というあまり耳慣れない言葉かもしれないけれども「大変に新しい時代を象徴している動きなのだ」ということを是非強調しておきたいです。

木村>  はい。リーディング・グループに日本が加わるという決意をしたかぎり、今度はアメリカに尺度を求めるのではなく、世界のなかで何をすべきか? ということをまさにこの場でこれから問われていく時代に入ってきているのですね。

寺島>  そういうことだと思いますね。

(註3、国際刑事裁判所<ICC>は、個人の国際犯罪を裁く常設の国際司法機関である。International Criminal Court、正式な略称はICC-CPI,通称ICCとそれぞれ表記される)

<日米関係史に於けるキャプテン・クーパー>

木村>  さて番組の後半は寺島さんの歴史観というものに基づいてお話をうかがっていこうと思います。

寺島>  はい。キャプテン・クーパーという人が日本にやって来た歴史的な事実について紹介しながらアメリカと日本の歴史的な関係をこれから私は何回かに分けて、我々の立っているところを確認して行くような話をしたいと思います。
 私は1987年から97年までアメリカの東海岸で仕事をしていました。そのとき、「ロングアイランドに、初めて日本に行った船長の家が残っているんだよ」という話をある人から聞かされたのです。アメリカ人として最初に日本に行った人物というふれこみでした。薄っぺらな歴史観しかない人間だと日本に最初にやって来たのは、1853年のペリーの浦賀来航ではないかと思いがちなのですが、実はそれよりもほぼ10年近く前にキャプテン・クーパーという人が日本を訪れているのです。我々は、開国の門を叩いたのは4隻の黒船を率いてやって来たペリー艦隊であり、大砲で脅かして日本に開国を迫ったという、いわゆる 「砲艦外交」がはじまりだと認識しておりますが、ところがそうではないのです。実は我々が思っている以上に伏線があって、ペリーが浦賀にやって来た前後に日本の太平洋側には毎年、数百隻以上のアメリカの捕鯨船がやって来ていたのです。

木村>  捕鯨船ですか? ちょっと待って下さい。いまアメリカは日本の捕鯨に反対していませんか?

寺島>  そうです。当時のアメリカは捕鯨国の先頭を走っていたのです。アメリカにとって鯨の脂=鯨油というものが大変な貴重品だったわけです。話をキャプテン・クーパーの話に戻しましょう。
 キャプテン・クーパーは捕鯨船マンハッタン号の船長としてロングアイランドのサグ・ハーバーという港町を1843年に、つまりペリーの浦賀来航の丁度  10年前に出航して大西洋からアフリカの南を回ってインド洋から太平洋へと入ってきました。千島列島の近くで4ヶ月あまり捕鯨をして18頭の鯨を捕まえてハワイに行きました。捕鯨船の供給基地となっていたのがハワイだったからハワイに3ヵ月ほど立ち寄って、再び鯨獲りのために北方漁場に出たとき、鳥島に漂流民として漂着していた11人の日本の漁民を救助しました。更に、偶然に南部藩の佐野から難破して漂流している別の船があり、そこにも11人の漁民が乗っていて合計22人の日本人を漂流民として助けたわけです。そして、そこから浦賀に送り届けに来てくれたのです。つまりこれが「キャプテン・クーパーの来訪」だったわけです。

寺島>  まずここで確認しなければいけないのは、初めてアメリカ人が日本にやって来た時は砲艦外交という恫喝でも脅迫でもなく、極めて人道的な理由でやって来たということです。そして、浦賀にやって来たクーパー船長に浦賀奉行が対応するというまさに、その後ペリーがやって来たときの予行演習みたいなことが行われているわけです。それに対応したのが老中、阿部正弘でした。
 このときの記録を調べてみると大変面白いのです。幕府は浦賀にペリーがやって来たときにびっくり仰天して右往左往してどう対応してよいのかパニック状態に陥ったというイメージがありますよね? しかし、それは全くの嘘でいかに システマティックに対応したのかということがキャプテン・クーパーの対応によくにじみ出て来ています。非常に組織立って、このときは人道的な理由で日本人を送り届けて来てくれたということでまず感謝の意を表しました。但し、日本は鎖国時代ですから大変ありがたいけれども上陸を許すことはできなかったので、食糧とか薪等色々なものを御礼としてプレゼントしているのです。物凄く善意に満ちた、アメリカの最初の日本に対する来訪だったと言えます。その後、キャプテン・クーパーは友人を介して日本に自分が訪問したときの詳細な情報をペリーに伝えているのです。クーパーが入手して来た日本の地図もありました。これを直接渡したかどうかというのはまだ議論の余地があるようですが、捕鯨船マンハッタン号が浦賀にやって来たということが、後のペリー来航の伏線であり導線になっているということは間違いないのです。つまり歴史がそういう脈絡で繋がってきているということでしょうね。日米関係というものを考える時に、アメリカの捕鯨船が最初に日本の扉を開いたという事実をどう認識するのかということが重要になって来ます。木村さんがまさに言っていたように、いま反捕鯨国の先頭を走っているアメリカが、捕鯨国の先頭を走っていた時代があったのです。しかも、ペリーが浦賀にやって来た理由としては、捕鯨船に対して薪とか食糧とかを供給してくれる補給基地としての日本を期待したということが第一にあり、その先に中国との貿易を視界に入れてあったのです。つまり、アメリカがどんどん西に開拓を伸ばして行って、西海岸にたどり着いてアジアが見えて来たという時代と重なり合っているわけです。しかも1870年代までですからまだ130、140年位前まであらゆる灯りだとか産業用の資材として鯨が物凄く貴重で、灯りの根源が鯨油だったのです。こういうあたりの歴史的な脈絡を非常に正しく認識する必要があるという話です。(註.4)

木村>  日本の人たちからしてみると、初のアメリカ発見だったわけですね。しかも、なんとか帰りたいと思っていた人たちを日本に送り届けた。日本にとってのアメリカという存在をこれからどう考えるべきか……。まさにそういうところに立っているだけに寺島さんのこれからのお話の展開が楽しみになって来ました。

(註4、アメリカ合衆国は、建国当初からヨーロッパの動乱に巻き込まれないよう孤立主義の外交政策をとって来た。その方針は第5代モンロー大統領による「モンロー宣言」として明確にされているが、ヨーロッパの紛争を回避しながら、その分西部開拓や中南米への進出に力を注いでいた。西部開拓がほぼ完了すると中南米諸国に侵略をはじめ、1845年メキシコから独立した『テキサス』を併合し、1846年には「米墨戦争」を起こし、その勝利によって『カリフォルニア』『ユタ』及び『ニューメキシコ』『ワイオミング』『コロラド』『ネバダ』の一部を割譲させて西海岸に到達した。その時点で、アメリカは、大西洋、太平洋をまたぐ大陸国家となり、捕鯨船の活動基点の確保と中国という目標に目を向けていたという時代背景がある)